8
山本七平bot @yamamoto7hei
1】中国思想について私は何も知らないが、専門家によると、この日本的儒教思想と中国思想は根本的に違うという。その説明を聞いて、その上で孔子のことを考えると、確かに彼の生き方は日本的ではない。<『「空気」の研究』
山本七平bot @yamamoto7hei
2】彼にとって「父と子の倫理」は文字通りの父子の倫理だったのであろう。というのは、彼は、同時代の諸侯に対しては、絶対にそういった態度をとっていないからである。
山本七平bot @yamamoto7hei
3】その生き方は、終身雇用と会社への帰属もしくは組織への忠誠を絶対視する現代の日本人より、自分を認め、自分のプランを採用してその実施を一任してくれる組織を自ら選ぶアメリカのエグゼクティブに似ており、それを近代的というなら、孔子の方がいまの日本人より近代的である。
山本七平bot @yamamoto7hei
4】彼は、自分を正しく評価した上で自分を招聘してくれる諸侯(大企業?)を求めて、広い中国を歩きまわるのを当然と考えた。そして両者の関係は、日本的・臣従的雇用というより、むしろ対等の契約関係に近く、招聘者が契約通りに彼を用いなかった場合、そこを去ることを彼は当然のことと考えていた。
山本七平bot @yamamoto7hei
5】前記の彼の言葉を、こういう生涯を生きた人の言葉として読むと、徳川期の主従の関係もいまの日本のそれもこれと同じではない。その差はどこにあるのか。孔子は確かに相手に対して誠実であった。
山本七平bot @yamamoto7hei
6】諸侯の一人に仕えた以上、彼はそれに対して、忠誠であったが、しかしこの関係はあくまでも相対的な「君君たらずんば、臣臣たらず」といった関係で、いわば両者の関係は信義誠実を基にすべきことであるといった契約的な意味の誠実さで、これがおそらく「忠」という概念であろう。
山本七平bot @yamamoto7hei
7】彼にとって、この「忠」という概念と、血縁といういかんともしがたい非契約的な秩序の基本である「孝」とはあくまでも別概念であったろう。別概念だからこそ、別々の言葉で表現され、この二つを同一視すれば、とんでもない社会を招来してしまうと考えたはずである。
山本七平bot @yamamoto7hei
8】従って前述のように、父子ではない会社や組合といった組織にまで父子の倫理を拡大してこれを儒教と呼べば、彼自身が激怒して反対したかもしれぬ。もっともこの点には複雑な問題があると思うので、以上の規定は一応、変形された「日本的儒教」と呼ぶべきものと考えよう。
山本七平bot @yamamoto7hei
9】言うまでもなく三十年前までの日本は「忠孝一致」で「孝」を組織へと拡大化した状態を「忠」と呼び「君君たらずとも臣は臣たれ」を当然とした社会であった。これは徳川時代には…臣従を絶対化するイデオロギーであったが、明治以降はこれが極限まで拡大され、その極限におかれたのが天皇であった。
山本七平bot @yamamoto7hei
10】この体制は第二次大戦という打撃で崩壊したわけだが、物理的崩壊が質の変化を意味しないことは言うまでもない。それはすぐさま、新しい様々な組織を「考」の対象と化し、それぞれが”一家”を形成したというだけである。そして戦後は、逆にそれを形成しやすい土壌を提供したわけである。
山本七平bot @yamamoto7hei
11】上前淳一郎氏が記されているように、三十年前、一学期に黒板に「大和魂」と書いた教師が二学期に黒板に「民生主義」と書いたからといって、何かの変化が起るはずはない。教師も生徒も、その通常性(日常性)においては数ヵ月前のままであるのが当然である。
山本七平bot @yamamoto7hei
12】変ったものは、この通常性の上に立っていた一つの虚構、孔子における「父と子」の問のような「直きこと」、簡単にいえば虚構の応酬の中の一世界のタイプの変更だけである。古い虚構も新しい虚構もともに虚構だから、黒板の文字を書きかえればそれですむ。
山本七平bot @yamamoto7hei
13】だが、もし我々が、本当に「通常性の規範を変えろ」と言われたら、到底、そんな簡単なわけにはいかない。それならなぜ、黒板の字の書きかえのように一見きわめて簡単に”改革”が行なわれたのか。
山本七平bot @yamamoto7hei
14】それはアメリ力のもたらしたイデオロギーが「自由」と「民主」の二つだったという面白い事実に基づく。アメリカ人は実に素朴にこの二つが結合するものと考えていた。しかし一民族を全く無干渉に自由に放置しておいたらどうなるか。それは否応なく伝統的文化規範による秩序を作るに決まっている。
山本七平bot @yamamoto7hei
15】そしてそれを形成するのに、何の苦労も努力も摩擦も生じないのである。それは真空状態のような収容所にも発生したが「土着の秩序」と言ってもよい秩序であろう。そこの人びとが、その人びとがもつ無意識の通常性的規範通りに生活していけば、否応なくできあがってしまう秩序である。
山本七平bot @yamamoto7hei
16】従ってアメリカが「民主」を棄却して「自由」だけをもたらし、全く自由のままに日本を放置しておいたならば、数百年の伝統をもつ規範がそのまま社会秩序となって行ったであろう。言うまでもなくそれは日本的儒教的規範の世界――いわば一君万民の情況倫理の世界である。
山本七平bot @yamamoto7hei
17】そしてこの世界は、エレミヤ的伝統をもつ世界と、その文化的規範が違って当然だから、自由にしておけば自分で自由を失うという結果になって不思議ではない。
山本七平bot @yamamoto7hei
18】そのため、自由にしていて自由を失うまいとすれば「一君万民・オール3的、事実を口にしないことが真実」というすべての組織から脱落する以外になくなるが、脱落とはいわば勘当であり、勘当されたものは一切の権利を実質的に失うから、また自由を失ってしまうわけである。
山本七平bot @yamamoto7hei
19】そのため戦後三十年、いまの日本人にとって、全く扱いづらい概念になってしまったのが、実は「自由」という概念なのである。…「社会」乃至は「社会主義」という概念は、明治のはじめから戦前・戦後を通じて、少しも扱いづらい概念ではない。
山本七平bot @yamamoto7hei
20】一委員長・共(オール)3党員と「父と子の相互隠蔽」の倫理に立つことを社会主義と考えるならば。そしてそれによって一見「民主主義」的な社会をつくることも、また可能なのである。
山本七平bot @yamamoto7hei
21】「父は子のために非民主的なことを隠し、子は父のため同じように隠す」ならば、どこから見ても民主主義であろう、いまの日本同様に――ただ個人の「自由」を排除しておけば。
山本七平bot @yamamoto7hei
22】戦前の日本軍部と右翼が絶対に許すべからざる存在と考えたのはむしろ「自由主義者」であって必ずしも「社会主義者」ではない。社会主義はただ方向を誤っただけで彼らの意図そのものは必ずしも誤りでないから、方向さえ変えさせれば、いわば転向さえすれば有能な「国士」になると彼らは考えていた
山本七平bot @yamamoto7hei
23】従って、転向者の多くは軍部の世話で「満鉄調査部」に勤めていたところで、それは必ずしも不思議ではない。だが彼らは、自由主義者は、箸にも棒にもかからぬ存在と考えていた。
山本七平bot @yamamoto7hei
24】この考え方は、青年将校などにも明確にあり、自由主義者とは「転向のさせようがない人間」いわば、彼らにとっては「救いがたい連中」たったわけである。
山本七平bot @yamamoto7hei
25】では彼らはどういう人間を「自由主義者」と規定したのか。簡単にいえば、あった事実をあったといい、見たことを見たといい、それが真実だと信じている、きわめて単純率直な人間のことである。なぜ、彼らはそれを嫌ったか。
残りを読む(14)

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?

ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする