山本七平botまとめ/【今、なぜ「論語」なのか①】/論語と聖書、共に通暁することは「日本の位置から西欧を見、西欧の位置から日本を見ること」

山本七平著『論語の読み方』/今なぜ「論語」なのか?/『論語』と『聖書』の相互関連を指摘した二人の人物/20頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【『論語』と『聖書』の相互連関を指摘した二人の人物】「なぜ『論語』などに興味を感じたのですか」 私の周囲に積まれた『論語』とその通解・講義・解義・新釈・新研究などを見て不思議そうな顔をする人は決して少なくない。 私はその時、吉川幸次郎…の本を開いて…示す。<『論語の読み方』

2013-03-05 04:27:58
山本七平bot @yamamoto7hei

②【…西洋でこれ(論語)に対になるものは『聖書』でありましょうが、それ(聖書)を同時に読むことが必要であると思います。 私いつも考えるのですが『聖書』を読むことによって『論語』はよりよく理解される。 また逆に『聖書』だけでは『聖書』は完全に読めないのではないでしょうか】

2013-03-05 04:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

③おもしろいことに、これによく似た言葉を晩年の内村鑑三が口にしている。 …内村の心酔者であった亡父が 「聖書を理解するには論語を読まねばならぬ、と内村先生が言った」 と言って、大きな本を四冊買って帰り、半ば強制的に読まされた記憶があるからである。

2013-03-05 05:27:55
山本七平bot @yamamoto7hei

④…常に『論語』に関心を持ち続けてきたのは、やはり内村鑑三の影響であろう。 思い返してみれば「論語の位置から聖書を見、ひるがえって聖書の位置から論語を見る」は、私の唯一の「ものの見方」かもしれない。 それはある意味で日本の位置から西欧を見、西欧の位置から日本を見ることである。

2013-03-05 05:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤いずれにせよ『論語』を読みつづけた人と『聖書』を読みつづけた人が、共に同趣旨の言葉を口にしているのは興味深い。 だが、われわれの世代は、たとえ「英数国漢」が必須の時代とはいえ、すでに『論語』とは縁遠い世代であった。

2013-03-05 06:27:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥…明治末期・大正・昭和戦前・戦後と進む時代は、一口でいえば「古典的素養皆無時代」へと進む時代であり、内村・吉川両氏の言葉とは逆に「『論語』も『聖書』も共に無視される」方向へと徐々に進み、戦後教育はそれを完成したといえる。 いわば「古典的教養皆無人」の量産時代に入った訳である。

2013-03-05 06:57:48