@usg_ringo きっかけの在処は、おそらく個人の関心の所在を示すのでしょうね。ニセ科学批判と一口に言っても、どの領域を相手にしているのか、とか。
2013-03-08 12:58:24きっかけというなら、オカルトだろうなあ。超常現象とかそっち方面から、疑似科学とか懐疑主義うんぬんとか経てニセ科学というものを知ったというか。
2013-03-08 13:00:46だからまあ、オレにとってはニセ科学批判は社会の役に立つことの方法の一つなのだから、役に立たないニセ科学批判はやらないし、ニセ科学批判以外でも役に立てることがあるならそれもやる、と謂う相変わらず身も蓋もない話(笑)。
2013-03-08 13:06:17ちょっと紛らわしいことを言ったかもしれないので補足しておくと、「俺個人の虚栄心を満たす為」が「動機」であって「目的」ではないなら別にそれは構わない。ただそれが「目的」になってしまうと、そのニセ科学批判が何の役に立たなくても、それどころか有害であってもいいと謂うことになる。
2013-03-08 13:14:50役に立たないニセ科学批判には何の意味もないんだし、有害なニセ科学批判はやらないほうがいいんだよ。ぶたやまさんが気にしている「理由」ってそう謂う落とし所になるんじゃないかな。
2013-03-08 13:16:27@chronekotei そうです。有害なものならやりたくないということなのだと思います。嫌われたくないというのとはちょっと違う。あと、カッコ悪いこと(自分の中の基準の)ならやりたくないから、そこをいつも精査していたいのかも。
2013-03-08 14:15:25@Butayama3 そうすると、やっぱり常に具体に降りて行動の意味を考え、どの尺度で達成度を図るかと謂うことを考えて、自分が出来ることと折り合いを附けると謂うことになるでしょうね。
2013-03-08 14:20:33@Butayama3 たとえばぶたやまさんがサイエンスカフェ的なイベントを実施すると、十数人とか数十人程度の人々に専門家とのコミュニケーションの機会を提供すると謂う意味がある。それはそれでいいじゃないですか。大変意味のあることです。
2013-03-08 14:25:00@Butayama3 その上で、その方向性でもっと意味のあることをしたいと考えるなら、たとえば参加人数を増やしたりハコを大きくすると謂うのも一つの方向性ですし、そっちは考えずにコミュニケーションがスムーズに行く知恵を考えたり、理解が深まる知恵を考えるのも一つの方向性です。
2013-03-08 14:26:27@chronekotei ありがとうございます、、、(´Д`)。「真面目」に学ぼうとしたり、「世の中が良くなれば」と思って何かをしようとするのに、なぜか少々後ろめたさがあるもよい、、、。
2013-03-08 17:45:16@Butayama3 動機についてはあんまり考え込まないほうがいいですよ(笑)。清く純粋でウツクシイ動機でやらなきゃいけないわけじゃないですから(爆)。
2013-03-08 17:46:34「有害なニセ科学批判」と謂うのも、実はある。まあ、今更蒸し返してもしょうがないから一々具体的には言わないけどね(笑)。そんなのはやらないほうがマシだし、それどころか逆に批判されても仕方がない。
2013-03-08 13:18:08