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まあ、ニセ科学批判と謂うのは「強い言論」だから人を傷附けることが簡単に出来るんですよ。そして、社会の役に立たないのに人を傷附けることは普通に言って「暴力」でしかないでしょう。
2013-03-08 13:20:38![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
そう謂う暴力的な行為が求められるのは、公共の防衛に必要だと謂う理由附けがあればこそで、それがなければ単なる個人の暴力に堕すと謂うことですね。
2013-03-08 13:22:54![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@chronekotei 強い武器の割に、特定個人を殴るのには威力を発揮するけどオヤダマを叩くにはあまり向いてないんですよ、そういうのは。だから、社会的な意味はあまりないか、有害。
2013-03-08 13:23:26![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@doramao ニセ科学批判に数年間コミットしてきて得た結論と謂うのは、ニセ科学批判と謂うセオリーは個人の説得には無力だと謂うことですよ。だから、やっぱり原点であるところの「対抗言論を流通させる」と謂うところに立ち戻ったほうが効率的だろうと謂うことですね。
2013-03-08 13:25:48![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@doramao 説得の方法論は、専門的なテクニカルなアプローチと、個人対個人の全人的な関係性に基づくアプローチの両様があって、後者はまあ失敗する可能性が多分にありますね。
2013-03-08 13:31:21![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@chronekotei で、淘汰の挙げ句、高度なテクニカルなアプローチがつくられているのが、ニセ科学商売でもありますから辛いところです。
2013-03-08 13:32:53![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
別の言い方をすれば、「ニセ科学批判は結果論的に救済可能な個人しか救済出来ない」。だからまあ、負け戦にしか見えないけど、それはそう謂うリーチの言論だから仕方がない。
2013-03-08 13:33:19![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
ニセ科学が存在することは自明だし、ニセ科学に問題があることも自明だと謂う立場を採るなら、「ニセ科学批判」と謂うのは単に「言論を通じたニセ科学問題への対処」を意味する言葉でしかないと謂う認知も共有されている。その限りでは「批判批判」は別のレイヤーにおいては「批判」に包含されるよね。
2013-03-08 13:46:37