ロシア人が東進を続けながら、同時に自身のヨーロッパ化を急速に進めたこと

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@paggpagg

古代マケドニアのアレクサンダー軍がペルシア帝国方向に進んだとき、そこは必ずしも異世界ではなかっただろう。はるか後にロシア人が東進を始めたとき、やはりそこに広がるペルシア語世界は、ロシア語世界と全く異なる言語世界ではなかったはずだ。

2010-09-02 02:07:06
@paggpagg

ロシア人による「シベリア征服」は、「ヨーロッパ人によるアジア侵略」であると同時に「周辺印欧語族によるペルシア征服」の延長線上にあるのだろう。ロシア人は少なくとも西欧人とはかなり異なる。

2010-09-02 02:26:13
村山茂樹 @Clunio

マケドニアはアケメネス朝の属国だった時期が長いし、中世~近世の中央ユーラシア世界はトルコ系の言葉を話す遊牧民(テュルク)の軍事力と、ペルシア語を話す定住民の経済力・行政能力の協力の上に諸国家が成り立っていたわけですからねぇ… @paggpagg

2010-09-02 06:26:52
@paggpagg

英語から近隣印欧語に勉強を進めると、ロシア語アルメニア語で一端止まる。その先は見知らぬアルタイ諸語の世界。でもペルシア語に目を転じると再びそこそこ見慣れた印欧語の姿が。シベリア侵略を開始したロシア人たちもそう感じたか、それともモンゴル語を通じてアルタイ諸語に抵抗はなかったか。

2010-09-02 14:06:00
@paggpagg

問題はロシア人が東進を続けながら、同時に自身のヨーロッパ化を急速に進めたことだろうと思う。極東においてかなり強引だったコサック軍団の支配がロシア帝国の支配に変わっとき、すでにロシア人は極東諸民族に対して「ヨーロッパ人」としてふるまっていた。

2010-09-02 14:29:26
@paggpagg

だからこそ、ロシアの年代記などに比べて、極東の征服はただひたすらに痛ましい。もちろん、極東諸民族も抵抗はした。そのあたりの事情はフォーシス『シベリア先住民の歴史』(彩流社)にざっと紹介されている。これは類書がない良書。

2010-09-02 14:34:30
村山茂樹 @Clunio

アルタイ諸語地域の都市世界はペルシア語世界ですからね RT @paggpagg: 英語から近隣印欧語に勉強を進めると、ロシア語アルメニア語で一端止まる。その先は見知らぬアルタイ諸語の世界。でもペルシア語に目を転じると再びそこそこ見慣れた印欧語の姿が。シベリア侵略を開始したロシア人

2010-09-02 14:42:22
村山茂樹 @Clunio

なるほど!西方アジアの征服と東方アジアの制服の間に明瞭なクラインが!! RT @paggpagg: だからこそ、ロシアの年代記などに比べて、極東の征服はただひたすらに痛ましい。もちろん、極東諸民族も抵抗はした。そのあたりの事情はフォーシス『シベリア先住民の歴史』(彩流社)にざっと

2010-09-02 14:45:17
村山茂樹 @Clunio

そのクラインは正にロシア人のヨーロッパ化の過程のクライン!! RT @paggpagg: だからこそ、ロシアの年代記などに比べて、極東の征服はただひたすらに痛ましい。もちろん、極東諸民族も抵抗はした。そのあたりの事情はフォーシス『シベリア先住民の歴史』(彩流社)にざっと紹介されて

2010-09-02 14:46:08
@paggpagg

@Clunio 旧ソ連圏の研究者と話していると、各地域とロシア人の歴史的な関係はかなり多様だと感じます。中央アジアでのロシア人と、極東や北極地域でのロシア人の歴史的なあり方は違う。それは実は時代的な差でもあると思うのです。ロシア人はつい最近西欧化した民族ですから。

2010-09-02 14:56:10
@paggpagg

@Clunio ところが、ソ連時代のロシア人と各地の民族の関係は非常によく似ている。ソ連はなんにせよ、ものすごく近代的な存在だったという印象を受けます。

2010-09-02 14:58:53
村山茂樹 @Clunio

そうなんですよね。日本では、日露戦争をあまりにも世界を制圧するヨーロッパの白人列強への勝利というステレオタイプな見方をし過ぎています。本当は日本よりほんの少し前に『文明開化』したばかりの中央ユーラシアのペルシア類似のアジア的帝国がロシア帝国なんですよね。 @paggpagg

2010-09-02 15:04:36
村山茂樹 @Clunio

ロシア革命は、カルムイク人クォーターの独裁者とグルジア人独裁者による『帝国』の過激なる『文明開化』の完成という側面があったといってもよさそうですね… @paggpagg

2010-09-02 15:10:28
@paggpagg

なるほど。彼らの極端なまでの「文明開化」=西欧的近代化志向は、その非西欧的ルーツによってこそ可能だったのかも。RT @Clunio ロシア革命は、カルムイク人クォーターの独裁者とグルジア人独裁者による『帝国』の過激なる『文明開化』の完成という側面があったといってもよさそうですね

2010-09-02 15:19:54
村山茂樹 @Clunio

私もそこに注目しています @paggpagg

2010-09-02 15:33:22
@paggpagg

@Clunio 「ソ連」自体が西欧の過激思想の「アジアにおける実験」でもあった、ということでしょうか。ペルシア帝国→ロシア帝国というアジア的帝国の系譜にありながらも、だからこそまた多民族帝国としての柔軟さを持ち合わせていたために、極端な近代化を移入・推進できた。

2010-09-02 15:41:54
村山茂樹 @Clunio

そういう事だと思います。ペルシア帝国・モンゴル帝国の系譜を汲み、尚且つ東ローマ帝国の後継者の正統原理とモンゴル帝国分国ジョチウルスの後継者の正統原理の両面性を持つロシア帝国の柔軟性を、境界人的コンプレックスを持つ内面エネルギーの大きな独裁者が駆動した構造 @paggpagg

2010-09-02 15:49:39