ヴェーバー『職業としての政治』まとめ

1
読書メモ @masashy_log

むしろ近代国家の社会学的な定義は、結局は、国家を含めたすべての政治団体に固有な・特殊の手段、つまり物理的暴力の行使に着目してはじめて可能となる。(ヴェーバー『職業としての政治』)

2013-03-07 12:35:22
読書メモ @masashy_log

国家とは、ある一定の領域の内部で――この「領域」という点が特徴なのだが――正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である(ヴェーバー『職業としての政治』)

2013-03-07 12:38:16
読書メモ @masashy_log

政治をおこなう者は権力を求める。その場合、権力を別の目的のための手段として追求するか、それとも権力を「それ自体のために」、つまり権力自体がもたらす優越感を満喫するために追求するか、そのどちらかである。(ヴェーバー『職業としての政治』)

2013-03-07 12:44:12
読書メモ @masashy_log

闘争は、指導者であれ部下であれ、およそ政治家である以上、不断にそして必然的におこなわざるをえない。しかし官吏はこれに巻き込まれてはならない。党派性、闘争、激情――つまり憤りと偏見――は政治家の、そして政治主導者の本領だからである。(ヴェーバー『職業としての政治』)

2013-03-09 09:37:05
読書メモ @masashy_log

ジャーナリストは…固定した社会階層の区分けに入らないという宿命をになっている。つまりジャーナリストは一種のアウトサイダーとして、「上流社会」ではいつも、道徳的に最も劣った者を基準にして社会的に評価される。(ヴェーバー『職業としての政治』)

2013-03-09 11:02:44
読書メモ @masashy_log

今日イギリスの国会議員は、二、三の閣僚(と若干の奇人)を除いて、一般に訓練の行き届いたイエス・マンに過ぎなくなっている。(ヴェーバー『職業としての政治』)

2013-03-09 12:41:56
読書メモ @masashy_log

政治家にとっては、情熱――責任感――判断力の三つの資質がとくに重要であるといえよう。(ヴェーバー『職業としての政治』)

2013-03-10 17:07:05
読書メモ @masashy_log

ここで情熱とは、事柄に即するという意味での情熱、…今は亡き私の友ゲオルク・ジンメルがつねづね「不毛な興奮」と呼んでいた、例の精神態度のことではない。(ヴェーバー『職業としての政治』)

2013-03-10 17:10:45
読書メモ @masashy_log

実際、どんなに純粋に感じられた情熱であっても、単なる情熱だけでは充分でない。情熱は、それが「仕事」への奉仕として、責任性と結びつき、この仕事に対する責任性が行為の決定的な基準となった時に、はじめて政治家をつくり出す。(ヴェーバー『職業としての政治』)

2013-03-10 17:18:01
読書メモ @masashy_log

「距離を失ってしまうこと」はどんな政治家にとっても、それだけで大罪の一つである。(ヴェーバー『職業としての政治』)

2013-03-10 17:19:36
読書メモ @masashy_log

政治は頭脳でおこなうもので、身体や精神の他の部分でおこなうものではない。ではあるが、もし政治が軽率な知的遊戯でなく、人間として真剣な行為であるべきなら、政治への献身は情熱からのみ生まれ、情熱によってのみ培われる。(ヴェーバー『職業としての政治』)

2013-03-10 17:23:01
読書メモ @masashy_log

純粋な権力崇拝ほど、政治の力を堕落させ歪めるものはない。(ヴェーバー『職業としての政治』)

2013-03-11 08:57:56
読書メモ @masashy_log

戦争の道義的埋葬は現実に即した態度と騎士道精神、とりわけ品位によってのみ可能となる。しかしそれはいわゆる「倫理」によっては絶対不可能で、この場合の「倫理」とは、実は双方における品位の欠如を意味する。(ヴェーバー『職業としての政治』)

2013-03-11 09:09:31
読書メモ @masashy_log

政治家にとって大切なのは、将来と将来に対する責任であり。ところが「倫理」はこれについて苦慮する代わりに、解決不可能だから政治的にも不毛な過去の責任問題の追究に明け暮れる。政治的な罪とは――もしそんなものあるとすれば――こういう態度のことである。(ヴェーバー『職業としての政治』)

2013-03-11 09:13:54
読書メモ @masashy_log

どんな倫理といえども、次のような事実、すなわち「善い」目的を達成すためには、…道徳的にいかがわしい手段、少なくともきけんな手段を用いなければならず、悪い副作用の可能性や蓋然性まで覚悟してかからなければならないという事実、を回避するわけにはいかない(ヴェーバー『職業としての政治』)

2013-03-11 09:53:26
読書メモ @masashy_log

善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるというのは、人間の行為にとって決して真実ではなく、しばしばその逆が真実であるということ。…これが見抜けないような人間は、政治のイロハもわきまえない未熟児である。(ヴェーバー『職業としての政治』)

2013-03-11 10:12:29
読書メモ @masashy_log

自分の魂の救済と他人の魂の救済を願うものは、これを政治という方法によって求めはしない。政治には、それとはまったく別の課題、つまり暴力によってのみ解決できる解決できるような課題がある。(ヴェーバー『職業としての政治』)

2013-03-11 10:57:30
読書メモ @masashy_log

結果に対するこの責任を痛切に感じ、責任倫理に従って行動する、成熟した人間がある地点まで来て、「私としてはこうするよりほかない。私はここに踏み止まる」と言うなら、測り知れない感動をうける。これは人間的に純粋で魂をゆり動かす情景である。(ヴェーバー『職業としての政治』)

2013-03-11 11:06:56
読書メモ @masashy_log

もしこの世の中で不可能事を目指して粘り強くアタックしないようでは、およそ可能なことの達成も覚束ないというのは、まったく正しく、あらゆる歴史上の経験がこれを証明している。(ヴェーバー『職業としての政治』)

2013-03-11 11:14:59
読書メモ @masashy_log

指導者や英雄でない場合でも、人はどんな希望の挫折にもめげない堅い意志でいまゆぐ武装する必要がある。そうでないと、いま、可能なことの貫徹もできないであろう。(ヴェーバー『職業としての政治』)

2013-03-11 11:16:30