過越の祭とイエスの十字架
- wancupmaster
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もう一つ、宗教画が間違って描かれている点があります。それは下着を着けている点です。当時の男性の衣服は、頭を覆う布、上着、下着、サンダル、外套でした。4人のローマ兵が一つずつ分け合い、外套はくじで一人が独占しましたーcf ヨハネ19:23~24。
2013-03-15 08:50:45女性が言うには少々抵抗がありますが…十字架刑は、丸裸で受けるものです。トイレに行くために、いちいち降ろしてくれるわけではありません。当然…(#^.^#)…ですね。
2013-03-15 08:54:09イエスとともに十字架に付けられた強盗は二人。一人は右に、一人は左に…イエスが再臨された時、羊を右に、山羊を左に分けられるのと同じことに気付かれましたか?そのことから、最初は二人共イエスをののしっていましたが、最後にぎりぎりのところで救われたのは、右側の強盗だったことが分かります。
2013-03-15 09:03:06朝9時に十字架に付けられたイエスは、正午〜午後3時までの間、私たちの身代わりとして神の怒りを体験しました。この時、全地が真っ暗になったのです。イエスの4番目の十字架のことば「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」は、この時に発せられました。
2013-03-15 09:22:47これは詩篇22:1ーわが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。の引用ですが、当時の理解では、22篇すべてを引用したことになります。イエスは福音書の中で神を「父」または「わたしの父」と呼ばれ、常に密接な関係を持たれていました。(ですよね…ヨハネ10:30だもの)
2013-03-15 09:29:35しかし、ここでは「わが神」と呼びかけられています。この時、イエスは霊的に死んだ状態となり、神に助けを求めているのです。また御父は、愛するひとり子が人類の身代わりとなって苦しむ姿を直視できず、目を背けられたのだとか、人間の罪は真っ暗(黒)なほどに汚れたものだという解釈も可能でしょう
2013-03-15 09:34:29死の直前のことばは再び「父よ」と呼びかけられているので、御父との関係が回復していることがわかります。このことから、主イエスは十字架の上で肉体の死を遂げる前に、霊的にも死んで復活されたことがわかるのです。アーメン!
2013-03-15 09:38:17イエスが十字架で息を引き取られたのは、ニサンの月の15日(金)午後3時です。各家庭で過越の子羊がほふられるのは、午後3時頃だったことと符号しますー出エジプト12:6。
2013-03-15 09:47:28あ☆十字架の死因を訊くだけ訊いておいて、正解を言ってませんでしたね^^;; 死因は、窒息死です。次第に体力がなくなり、足で踏ん張ることができなくなり窒息するのです。イエスの場合、先に鞭打ちによって弱っていたこともあり、3時には亡くなりました。
2013-03-15 10:37:18しかし、ふたりの強盗は鞭打ちは受けていないので、イエスより体力がありました。そのため日没までに死なない可能性が出たので、すねを折られたのです。それにより死期を早めるためです。
2013-03-15 10:41:39イエスが死なれた時、不思議なことが起きました。神殿の聖所ろ至聖所を仕切る幕が、上から下に裂けました。「幕」と聞くと私たちは、カーテンのような物、または学校の体育館や舞台の幕を思い起こします。が、神殿のこの幕は18m×9mの手の平ほどの厚みの物です。
2013-03-15 09:57:00人間が裂いたのなら上からではなく、下から裂いたでしょう。しかし簡単に裂けるようなものではありませんでした。それが上から裂けたのです。つまり、神ご自身が裂かれたということです。
2013-03-15 09:59:06幕で仕切られた向こう側は、大祭司が年に一度だけ入ることが出来た至聖所でした。神がその隔たりの壁(幕)を取り除かれ、御子を通して信者が直接 神に近づくことが可能になったということです。至聖所に入る大祭司は聖でなければなりませんでした。
2013-03-15 10:07:44神に直接近づくことができるようになった私たちも聖くなることが、神のみこころです。「神のみこころがわからない」と言う人が時々いますが、聖書ははっきりと記しています。 第一テサロニケ4:3~7ー神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。あなたがたが不品行を避け、
2013-03-15 10:11:30各自わきまえて、自分のからだを、聖く、また尊く保ち、神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、また、このようなことで、兄弟を踏みつけたり、欺いたりしないことです。なぜなら、これらすべってのことについて正しくさばかれるからです。
2013-03-15 10:15:49これは、私たちが前もってあなたがたに話し。きびしく警告しておいたところです。神が私たちを召されたのは、汚れを行なわせるためではなく、聖潔を得させるためです。
2013-03-15 10:17:23私たち信者の心には、三位一体なる神が住まわれがゆえに、私たちのからだは聖なる神の宮であり…「普遍的教会」、私たちは直接神に近づける万民「祭司」であるというわけです。これが教会時代が「めぐみの時代」である理由です。
2013-03-15 10:23:14そしてこれらすべてのめぐみは、主イエスが神の小羊として十字架でほふられたゆえです。この神にすべての栄光と誉れがありますように。アーメン。
2013-03-15 10:26:10