「死の淵を見た男(吉田昌郎と福島第一原発の500日)」読書録

震災直後の夏に個人的に東電職員のご家族の方と話す機会があり、原子力保安院は全員逃げたが、吉田所長以下の東電職員は現場に残って懸命の復旧作業をしていた事を聞いていました。そして今年に入って偶然この本を見かけたため、当時の現場の状況を知りたくて購入しました。 吉田所長へのインタビューをもとに書かれた書籍ですが、内容が膨大すぎるので原子炉への注水と冷却に話を絞ってまとめました。マニュアルが全く役に立たない極限状態の中で、現場職員のとっさの機転や判断に東日本全体が救われた事がよく分かります。チェルノブイリ×10になるのか、チェルノブイリ×1/10になるのかは、まさに紙一重だったようです。
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スカルライド @skull_ride

(22)このあと午後十一時以降は線量が高くなり、原子炉建屋に入ることを吉田所長から禁じられている。この時点で「水流を確保するライン」を彼らが作っていたことは、のちに最も重要な意味を持つ。

2013-03-18 12:35:03
スカルライド @skull_ride

(23)仮にこれが確保できていなかったら、原子炉を「水で冷やす」という行為自体が不可能であり、原子炉冷却の方法は閉ざされていたことになる。彼らベテランたちの素早い判断と行動は、それからの対処を決定付ける最も大きな役割を果たすことになるのである。

2013-03-18 12:35:13
スカルライド @skull_ride

(24)この処置は緊対室からの指示ではなく、現場の判断によるものである。大友、平野といったベテランが当直長の伊沢を囲んで対策を練る中で出てきたものだ。当直副長の加藤は、大友が注水系のベントのラインナップ図面を持ってきて話を進めていったことを記憶している。

2013-03-18 12:35:28
スカルライド @skull_ride

(25)「とにかく早い段階でこれをやらないと駄目だ、という事を大友さんがおっしゃったと思います。そして図面も持ってきたんです。それを見ていて私も間違いなくそうだなという意識になりました。大友さんが中心になって、何人かでこの相談をやったと思います」

2013-03-18 12:35:46
スカルライド @skull_ride

(26)図面をもとにして具体的にどことどこのバルブを開けるべきかという細かい話が詰められたのである。これはその後、繰り返されていく「一番危険なところに行く」という作業の中の最初のものだった。

2013-03-18 12:36:00
スカルライド @skull_ride

(27)すでに三十分前にはGM管サーベイメーターが振り切れるほどの放射線が検知されている。果たして原子炉に「水」が供給されているかどうかは分からないまま行う手探りの作業だ。恐怖心は相当なものだったと思われる。

2013-03-18 12:36:13
スカルライド @skull_ride

(28)のちに分かるが、一号機は実際に午後七時ぐらいから燃料が壊れ始めている。状況がつかめないとはいえ、線量が少しずつ上がっていることは分かっていた。そんな暗闇の中で場所の確認を行い、バルブの番号を読み上げながら作業をするのである。大友はこう述懐する。

2013-03-18 12:36:24
スカルライド @skull_ride

(29)「線量が高いということがあったので、やっぱり我々ロートルチームがまずは行くということで、若い人は残して行きました。バルブチェックリストで、バルブがどの辺りにあるかという位置を確認してから向かいました」

2013-03-18 12:36:36
スカルライド @skull_ride

(30)普段なら空調機をはじめ、さまざまな機械が動いていて騒々しいが、電気が落ちているためそこは真っ暗な上に何の音もしない、そら恐ろしいような静寂に包まれた空間となっていた。一行は懐中電灯を持ちながら黙々と進んだ。やがて目の前に原子炉建屋が現れた。

2013-03-18 12:36:47
スカルライド @skull_ride

(31)「入る時は二重扉を開けて閉めるんですけど、これが一文字ハンドルなんです。鉄の棒に黒い取っ手がついていて、これを横からタテにする。その時ガチャーンと大きな音がするんですが、これが覚悟を決めさせたというか、やらなければならないという気持ちを決めさせてくれたような気がします」

2013-03-18 12:36:57
スカルライド @skull_ride

(32)彼らは扉を入って右側にあった階段を黙って降りていった。最初のバルブは二つだ。一つは架台に登って、もう一つは窮屈な姿勢で手を伸ばして操作する形をとった。電気があれば中操で動かせる電動弁である。これを現場で直接ハンドルを回して開けていくのである。

2013-03-18 12:37:07
スカルライド @skull_ride

(33)「バルブが開く度合いを表わすバルブ開度というのがありまして、これが指示盤に0%から100%までついている。本当に開いているのかどうかをこの指示盤で確認できます。開度計の保護カバーを開けていちいち確認をしながら作業を行いました。丸ハンドルで非常に重かったですね」

2013-03-18 12:37:19
スカルライド @skull_ride

(34)それが目的のバルブなのかどうか番号を確認し、そしてまわす方向も確認しながらの作業である。「弁番号365!」「弁番号365、了解!」お互い全面マスクである。大声を上げなければ聞こえない。バルブ横の手動操作切換えレバーをギアに噛ませて、ハンドルを両手で回すのである。

2013-03-18 12:37:30
スカルライド @skull_ride

(35)「携帯用のサーベイメーターも持っていたんですけど、懐中電灯を持っていたり作業には力も要りますから、スイッチを切っていました。代わりに個人線量計のAPDで判断しようというのでこれを持っていき、気にしながら操作した記憶があります」

2013-03-18 12:37:40
スカルライド @skull_ride

(36)コアスプレイと呼ばれる系統にある最後の注入弁は、原子炉建屋の二階部分に二か所に分かれてあった。大きさも相当なものだった。バルブのハンドルは直径六十センチはあった。まず二階に上がり、そこからさらに猿梯子で数メートル上がったところに目的のバルブがあった。

2013-03-18 12:37:51
スカルライド @skull_ride

(37)二人がかりで回さなければとても無理だった。暑さでマスクに汗がしたたった。マスクの目の部分に汗がたまり、誰もがマスクを外したい衝動に駆られていた。最後のこの弁を「開」にした時、午後八時近くになっていた。この作業は前述のように、のちのち決定的な「意味」を持つことになる。

2013-03-18 12:38:01
スカルライド @skull_ride

(38)およそ一時間後には一号機の燃料が壊れ、線量がどんどん上昇してくる。午後十一時には原子炉建屋に入れるレベルではなくなり「立入禁止」になっている。まだ原子炉建屋に入ることのできる時間帯に、すでに「水」を入れるラインを確保し、その準備をすべて終えていたのである。

2013-03-18 12:38:12

消防車をつなげ

スカルライド @skull_ride

(39)「水を注入する方法は全部現場で考えていきました」そう吉田は語る。消防車ならば所内の自衛消防隊にある。原理からいえば消防車というのは水を汲んでさらには「出せる」ものだ。それなら「水を注入できるはずだ」

2013-03-18 12:38:24
スカルライド @skull_ride

(40)「防火水槽は家事のときに水をかけるための水槽だから、まずそこの水を入れればいいじゃないか」「巨大な逆洗弁ピットに大量の津波の海水が溜まっている。あれを使えばいい」現場は次々とそう発想していった。

2013-03-18 12:38:34
スカルライド @skull_ride

(41)ところが逆洗弁ピットに近づくには、津波で散乱したおびただしい量の瓦礫やゴミをまず取り除かなければならない。しかも原子炉建屋などの重要な施設のまわりは、テロ対策のために厳重な柵で囲ってある。この柵を壊して作業に必要な「道」を通すことが第一だった。

2013-03-18 12:38:46
スカルライド @skull_ride

(42)進路を確保し、重機を動かし、さらには消防車の動く道を作るという作業が暗闇の中、猛然と行われていった。言うまでもなく、これもまた津波の再来襲や放射線に対する恐怖との闘いでもある。これらの作業によって最初の水が原子炉に注入されるのは明け方の四時頃のことである。

2013-03-18 12:39:21
スカルライド @skull_ride

(43)これは大友、平野、加藤らが決死の覚悟でバルブを開けていたラインから入ったものだった。津波から十二時間余が経過し、ついに原子炉に水が注入されたのである。

2013-03-18 12:39:34
スカルライド @skull_ride

(44)それは四号機側の貯水槽から福島駐屯地の消防車が水を取り、ホースをつないで郡山駐屯地の消防車のタンクに入れ、さらにホースをつないで東電の消防車のタンクに入れ、そこから一号機に固定して注水していくというものだった。

2013-03-18 12:39:47
スカルライド @skull_ride

(45)原子炉冷却のための唯一の手段である「注水」を、三台の消防車のリレーによって実現したのである。言うまでもなくその水が入るラインは、大友、平野ら中操の人間の決死の作業によって「開けられた」ものである。

2013-03-18 12:40:01
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