「死の淵を見た男(吉田昌郎と福島第一原発の500日)」読書録
- skull_ride
- 11386
- 1
- 2
- 14
(93)自衛隊の活動の間も吉田所長の指示の下、消火班と復旧班はひたすら一号機から三号機までの原子炉に注水をつづけていた。福島第一原発はこうして次第に冷却が進んでいくのである。それは暴走しようとするプラントが、ついに人間の執念に根負けしたことを示すものでもあった。
2013-03-18 12:48:21チェルノブイリ事故×10だった
(94)2012年2月7日、食道癌の手術をおこなった吉田は、その後の抗癌剤治療で吐き気や嘔吐に苦しみながら、なんとか回復の道を辿っていた。だが7月26日に脳内出血を起こし、その後二度の開頭手術とカテーテル手術も一度受けるという厳しい闘病生活を続けている。
2013-03-18 12:48:33(95)長時間に及んだ取材の中で、最も私の心に残ったのは、吉田が想定していた「最悪の事態」について語ったことだった。彼の頭から離れることがなかったのは、自身が背負わされていたものの「大きさ」にほかならなかった。
2013-03-18 12:48:43(96)「格納容器が爆発すると、放射能が飛散し、放射線レベルが近づけないものになってしまうんです。ほかの原子炉の冷却も、当然継続できなくなります。つまり、人間がもうアプローチできなくなる」
2013-03-18 12:48:54(97)「福島第二原発にも近づけなくなりますから、全部でどれだけの炉心が溶けるかという最大を考えれば、第一と第二で計十基の原子炉がやられますから、単純に考えてもチェルノブイリ×10という数字が出ます。私はその事態を考えながら、あの中で対応していました」
2013-03-18 12:49:04(98)「だからこそ、現場の部下たちの凄さを思うんですよ。それを防ぐために最後まで部下たちが突入を繰り返してくれたこと、そして命を顧みずに駆けつけてくれた自衛隊をはじめ、沢山の人たちの勇気を称えたいんです」
2013-03-18 12:49:13(99)私が斑目春樹・原子力委員会委員長(当時)に吉田のこの話を伝えると、斑目はこう語った。「吉田さんはそこまで言ったんですか。私も現場の人たちには本当に頭が下がります」
2013-03-18 12:49:23(100)「私は最悪の場合は吉田さんの言う想定よりももっと大きくなった可能性があると思います。福島第一が制御できなくなれば、福島第二だけでなく、茨城の東海第二もアウトになったでしょう。そうなれば日本は三分割されていたかもしれません」
2013-03-18 12:49:32(101)入れ続けた水が、最後の最後でついに原子炉の暴走を止めた。福島とその周辺の人々に多大な被害をもたらしながら、現場の愚直なまでの活動が、最後にそれ以上の犠牲が払われることを回避させたのかもしれない。
2013-03-18 12:49:44(102)多くの部下たちと共に未曾有の原発事故と真正面から向き合った吉田昌郎は、その大きな役割を終えて、今度は自らの病との闘いをつづけている。
2013-03-18 12:49:59