イエスの埋葬と復活
- wancupmaster
- 1922
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ヨハネ20:16ー「マリヤ」とイエスに名前を呼ばれて、彼女は振り向きました。これは、心の向きを変える、悔い改めるということです。ここで初めてマリヤの霊の目が開かれ、園の管理人だと思っていた人がイエスだとわかるのです。
2013-03-20 11:30:11恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。ーイザヤ43:1b。まさに、このみことばの成就を見る気がします。
2013-03-20 11:32:13霊の目が開かれたマリヤにイエスは言われました。「わたしにすがりついてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしはわたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい」ーヨハネ20:17
2013-03-20 19:36:45「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父の御許に上っていないのだから。」とイエスが言われた理由は、モーセの律法の中の「贖罪の日の規定」にありますーcf レビ記16章。
2013-03-20 19:49:12贖罪の日…へブル語:ヨム・キプール。第七の月(チスリ)、太陽暦9〜10月。ユダヤ暦の中で最も厳粛な日で、大祭司は至聖所に入って犠牲の動物の血を祭壇にふりかけることになっていました。最初の清めの儀式から、血をふりかける儀式終了まで、誰も大祭司に触れてはならなかったのです。
2013-03-20 20:07:09万が一、誰かが大祭司に触れた場合、彼は汚れた者と見なされ、至聖所に入ることは出来なくなりました。旧約における大祭司は、イエスを示しているのですーcf ヘブル9:7~28。
2013-03-20 20:17:35墓から復活されたイエスは、大祭司としての役割を果たそうとしていました。cf ヘブル9:12ーまた、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
2013-03-20 20:33:53つまり、イエスは十字架で流された神の小羊としてのご自身の血を携えて、地上の幕屋ではなく、天の幕屋に上ろうとしておられたのです。地上の幕屋の清めは動物の血でしたが、天の幕屋はそれよりももっと優れた清い血でなければなりませんでした。すなわちメシヤである神の小羊の血が必要だったのです。
2013-03-20 20:38:20マリヤの前に復活の姿を現わされた時点では、イエスはまだ天の幕屋に上ってはいなかったのです。この段階でマリヤに触れられてしまったら、大祭司としての職務を全う出来なくなるため「わたしにすがりついて(さわって)はいけない。わたしは、まだ父の御許に上っていないのだから」と言われたのです。
2013-03-20 20:48:47この後すぐに、イエスは天に上りまことの聖所を清められました。なのでマリヤ以降、復活の主に出会った弟子たちは、イエスに触れても大丈夫だったのです。
2013-03-20 21:00:00でも、なぜ天の聖所が清められる必要があったのでしょう?それは、位の高い天使だったルシファーが堕落し、神に敵対するサタン(悪魔)となった時に。天の聖所と至聖所が汚されてしまったのです。サタンによって汚された天の幕屋は、動物の血ではなく神の小羊の清い血による清めが必要となったのです。
2013-03-20 21:22:37さて、天の幕屋の清めを終えたイエスは、再び弟子たちに復活のからだを現わされました。マタイ28:9~10ー婦人たちに「おはよう」と声をかけられた時、彼女たちは主に近寄って御足を抱いてイエスを拝みました。
2013-03-20 22:40:51イエスは彼女たちが触れることを禁じてはいないことから、マグダラのマリヤに現われてから婦人たちに現われるまでの間に、天の幕屋を清められたと考えられます。また「イエスを拝んだ」とありますが、婦人たちがご自身を拝むことも拒まれていません。大祭司としての職務に着任された神の御子だからです
2013-03-20 22:55:37マタイ28:18~20ー11人の弟子たちが、ガリラヤに行き、イエスの指示された山に登り。主にお会いした時、彼らもイエスを礼拝しました。イエスは彼らの礼拝を受け入れられています。そしてこういわれました。「わたしは天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」と。
2013-03-20 23:19:07私たちクリスチャンは、このイエスを「あなたは神の御子キリストです。」と告白する者なのです。神の御子キリストに、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美がありますように。感謝。
2013-03-20 23:29:49