130324 全集日本の歴史の第二巻「日本の原像」について

まとめました。
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岩上安身 @iwakamiyasumi

たとえば、2008年に小学館から刊行された全集日本の歴史の第二巻「日本の原像」を読むと、近年、地下から膨大な量の木簡・墨書土器などの文字資料が発見され、日本人がどのように漢字を受容してきたか、その経過が明らかになりつつあるという。

2013-03-25 01:25:44
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き。日本最古の文字資料は、千葉県稲荷台古墳出土の「王賜」銘鉄剣の銘文12文字。5世紀半ばとされる。もちろん漢文である。5世紀末には、埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣銘のように、「はてひ」「たかり」などの人名が漢字の音で表されるようになる。

2013-03-25 01:33:17
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き。さらに、7世紀前半には、「.論語」の「学而編」の「子いわく、学びて時に之を習う。またたのしからずや」という冒頭の一説が書かれたことが、徳島県と長野県で出土した木簡によって明らかになっている。

2013-03-25 01:43:09
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き。朝鮮半島慶尚南道金海市から出土した木簡にも、同様に「論語」の「学而編」の冒頭が記されている。こちらは6世紀から7世紀ごろ。新羅の群もしくは小京が置かれていた時期と一致する。新羅と倭国でほぼ同時期に論語を学んでいたわけである(新羅がやや先んじているが)。

2013-03-25 01:49:07
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き。滋賀県野洲市西河原森の内遺跡から出土した木簡には、助詞、助動詞を漢字の音で表し、漢文形と和文形が混じり合った文章が記されていた。7世紀末のものと見られる。かくて、7〜8世紀にかけて、仮名交じりの漢字を用いた和文の表記が試行錯誤を重ねながら形成されてゆく。

2013-03-25 01:55:49
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き。ざっと1500年くらい前から、漢字を受け入れ、文字を持たなかった口語の日本語を漢字を使ってどう表記するか、延々と苦心してきたのだ。涙ぐましい努力。古代の先人の労苦に感謝するとともに、漢字を考案した古代中国人、日本に伝えるのに大きな役割を果たした古代朝鮮人にも感謝したい。

2013-03-25 02:04:22
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き。漢字の学習期だった7世紀ごろには木簡の字書も作られた。奈良県の飛鳥から出土した8世紀初めの木簡字書には、「熊」という文字の下に漢字で「ウグ」と読み方が表記されていた。これは日本語のクマでもなく、漢音のユウという読み方でもなく、現代の韓国語のungに最も近いという。

2013-03-25 02:12:30
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き。この飛鳥発掘の木簡字書に記された朝鮮語読みの「熊」という字は、古代史について様々な手がかりを与えてくれる。そもそも漢字も、論語も、古代朝鮮からもたらされたと文献資料に記されているが、そうした事情をうかがわせる出土資料である。中国、韓国と波風の立つ今だからこそ思い出したい。

2013-03-25 02:19:40
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き。気の遠くなるような努力を積み重ねて、外来の文化と格闘し、咀嚼し、自らの言語に翻訳し、我がものとしてきた営為を軽んじてはならないと思う。英語の読み書きが当たり前になればなるほど、それを日本語に翻訳し、消化し続けていくことが重要になる。

2013-03-25 02:34:28