mediaとしての〈式神〉〈妖怪〉
- t_mutsumin
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ある空間で対話に飢える事の原因は多様に過ぎる。が、頻繁に有るのは、議論の対象/問題を掴み損ねるため、言辞の用い方に由々しい齟齬が生じているため、関心の交叉領域が狭いため、かつ/または、各発話が完成し閉じているため、であろう。後者二件は問題にそもそもならぬ。前者は解決が難しい。
2010-02-01 17:48:32どの程度有意義であるか定かでないが、意図して閉じずかつ閉じ方の見えない、つまり補足の余地があると分かるものの如何にすべきかは一考を要する、そのような語りをすることで対論を招くことは技術的に可能である。我が周辺ではそのようなレトリックを時に見かける。
2010-02-01 17:51:35召喚者の議論に異論がある訳ではないが。;使い手、介入権限、という語から始めて妖怪を構築すると、不可避に憑喪神・・物神の類の妖怪に行き着いてしまう。民俗の文脈に親しんできた者にとってはそれは酷く物足りぬ妖怪の把握なのだが、より無形のもの(使わぬもの)も同じ手で構築できるのだろうか。
2010-02-01 17:57:40猟犬餌——短く。使役精霊と自由精霊の区分については基礎的な議論を行っていない。全ての妖怪は使役を前提にはできない。あくまで式神/妖怪の区分は「使用」行為を前提とした、totalな把握とはほど遠い議論となる。たとえば現在の式神概念定義は自然現象の妖怪化を説明できない。
2010-02-01 18:01:38残念だ。概念の一般化による可能性が有るようには思えるが。 編纂RT @tricken: 使役精霊と自由精霊の区分については基礎的な議論を行っていない。|式神/妖怪の区分は「使用」行為を前提とした|議論となる。たとえば現在の式神概念定義は自然現象の妖怪化を説明できない。
2010-02-01 18:07:21続き。何らかの自然(じねん、ありのまま)であった存在物に「対象を名指す固有名」を置けば、それは〈式神〉となりはじめる。対して、「対象を名指す一般名」は〈妖怪〉となる。あとは伝統的な言語哲学の問題、すなわち「一般概念と特殊概念の分別基準」を考えること。 [正名/狂言]
2010-02-01 18:19:21キャラの「名付け」とその把握の問題は、現在では漫画批評やキャラクタービジネスの領域においても問われている。だが、小田切博は「なぜ個々の〈キャラクター〉の定義、存立、変容には固有名詞が不可欠なのか」という問いを不問にしている。ここに式神と妖怪の問題がある。 [正名/狂言]
2010-02-01 18:27:10かの世界になぜgreat spiritとfree spiritが在るのか、多少呑み込めたように思う。名付けたところで、地球や月を操作できるわけではない。たとえそれが個物に正確に対応する特殊概念であったとしても。 [正名/狂言]
2010-02-01 18:32:17咀嚼とは常に手加減のないものだ。つまるところ、狩猟する意志を持つとき、狩る側は狩り得るものを全て狩る。明日また同じ量が手に入るとは限らない。
2010-02-01 18:36:34・・そしてこの空間はやはり咀嚼まで、にしか向かないようだ。式神/妖怪分析を己でも噛み砕いたはよいが、その総体を関係づけ系として記し直すには呟きの空間は面倒に過ぎる。
2010-02-01 19:21:37野矢茂樹が「むだはむだではない」という記号的には成り立たない言説を大まじめに考えていたことを思い出す。思考・対話・設計において特に目立つ事柄であろうが、むだと言われている箇所・部分、はむだであると同時に系に必須な何かである、つまりむだでないことがある。さてどうしたものか。
2010-02-01 20:14:41漸う牙も疼いてきた。;ガッツという傭兵が居て、働きが目覚ましかったとする。その中には千人の敵に囲まれ切り抜けた業績もある。可能な働きが列記され曖昧に現実的に期待されるうちは彼は高々式神だ。噂に尾ひれが付きそれらを容易にこなす剣士ガッツの像が流布すると妖怪が生じる。;参)ベルセルク
2010-02-01 21:04:47物象が式神になるのに使用/介入可能性は必須でない。諸側面を観察する為の複数の機会が、時間幅と共に有れば足りる。観察群から築かれた諸相が飽くまで現実的な可能性として対象の周囲を浮遊し多う範囲でそれは式神である。使用の対象なら式神化は加速されるが、月も一ヶ月観察すれば式神にはなる。
2010-02-01 21:09:24素体の周辺を可能性の帳(式神層)が覆うと式神となる。その振る舞いの程度は素体そのものと変わらぬが、そこには法則が想定される。伝聞過程を通じてこの法則が曖昧にされ忘れられ、不当に多様な振る舞いが同時に非現実的に一つの対象に共存すると想定される時、同名の妖怪が生じる。
2010-02-01 21:11:48「かまいたち」は自然現象名であり、その背後にある相応の科学的説明の名前でもある。風と共にその獣が流されてきて切るだけならばまだその獣は式神層しか持たない。しかしそれが意図して深く斬ったり、風向きを操ったり、あまつさえ情まで持つに至るときそれは妖怪層をもつ。;参)うしおととら
2010-02-01 21:14:45原因と結果に同じ名を付して済ませてしまうのはかなり古いやり口で、例えば人が転びかける原因には「すねこすり」が、雷による感電死の原因には菅原道真が顕れる。原因が別に名指しされることで対策が模索され、「くわばら、くわばら」と呪文が唱えられる。勿怪であるこれらが妖怪になるのは更に後だ。
2010-02-01 21:19:03単に十分条件だが、法則性の偶像化である勿怪が妖怪になる折とは、例えばそれが主体性をもつ際だ。子供の溺死の原因が捕えられ、河童として命乞いまでするときそれは妖怪である。思うに、諸相が一つの個に帰着される時に妖怪は生じる。それは法則の神にされるのだ。柳田が堕ちた神と呼んだように。
2010-02-01 21:22:58素体、観察により見出される素体の諸相、そこに付される法則的説明、諸相と説明の集った式神層(勿怪層)、素体+式神層=式神、伝聞・経過・空想により度外視される法則(の一部)、個に帰着される諸相、諸相を受ける器としての妖怪(層)。忘却を介さずとも器が求められ妖怪層が生じることはある。
2010-02-01 21:28:08誤記があったが、訂正を兼ねて。;妖怪は諸相の神として求められる超越的な法則、超越的な個なのだろう。元々は、同時にはあり得ない諸相を分別することで素体(モノ、出来事)はたかだか式神になるに留まっていたはずだが、伝聞・記録・伝達のために音声列・文字列を媒介に保存されるようになる。
2010-02-01 21:32:01直接経験を含まない式神譚の保存・伝達が起こるとき、兎も角もそこに顕れる全ての「式神の顔」を統合する個、が必要になる。日常に隠れる勿怪から非現実的な妖怪が生成されるのは恐らくこの時点だ。
2010-02-01 21:34:27このように噛み砕くと、都市怪談において幽霊が妖怪化していくことが自然に受容できる。番町皿屋敷も重ねが淵も牡丹灯籠も、そこに現れる幽霊はその経緯を、従うべき法則を熟知されていた。それが不明になるとき、幽霊は特定の誰かを恨むのを止め、妖怪化し地縛され、無差別な災害となる。
2010-02-01 21:43:04キャラクタの論に私自身の関心は向いていないが、未設定部分に残る可能性・可能性間の論理的齟齬・特定の必要・名指し・公式設定・不可侵領域の確保による存立、といった言葉によって、キャラクタに固有名が有る必要、換言すればカテゴリから個性を析出する際の道具としての名、を語れるかもしれぬ。
2010-02-01 21:55:50直接問われた訳ではない。;初音ミクなるIDが妖怪層を持つかと問われた場合、構築済の定義に沿えば否、と答えざるを得ない。確かにそれは複数消費者の期待を受ける器ではあるが、個々にとっては特定の個性を持つに過ぎず、誰にとっても超常的な何かではない。むしろ正しくidol(偶像)なのでは。
2010-02-02 01:30:40