【御土居】 京都を囲む巨大城壁「御土居」の北辺を歩いた。

日本史上最大級の惣構「御土居」。天正19年(1591、豊臣秀吉が天下一統&京都改造の仕上げとして、京のまちを総延長約22kmの城壁で囲みました。 今回は御土居の北東隅(紫竹御土居)~大宮交通公園まで探検します。途中には密集する境界記号あり、旧道あり、古社あり、廃河川あり、そしてステキな高低差ありと見どころ盛りだくさん。 ●ビバ御土居! 続きを読む
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梅林秀行 @chang_ume

4/7(日)の御土居新コース(上賀茂紫竹~大宮交通公園)はこんな感じで、地形と人の営みのアンサンブルを味わいましょう。折々、顔をのぞかせる旧道や境界記号も見どころです。予約空きはあと少し。お待ちしております◎ #まいまい京都 http://t.co/RlyfyHzByy

2013-03-30 21:30:07
梅林秀行 @chang_ume

本日歩いた御土居の北東隅(紫竹御土居)~大宮交通公園~玄琢下(大宮御土居)について、昭和21年(1946)に米軍撮影の空撮写真を色塗りしてみました。噂の「若狭川」が尺八池から途中で急に向きを変えて直線化する様子がよく分かります。 http://t.co/H98CVMS5WH

2013-03-31 02:20:21
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梅林秀行 @chang_ume

昭和21年当時、洛北地域の御土居は土塁部分を中心に極めてよく残っていますね。やはり破壊は高度経済成長期なんだな。おそるべし戦後

2013-03-31 02:21:09
梅林秀行 @chang_ume

今度は明治22年(1889)の地形図を色塗り。洛北の御土居はほぼ完存。「若狭川」は北西の「尺八池」から曲線的に向きを変えて、御土居の北側で「小川」上流部へと合流しております。若狭川→堀川ってのはいつ頃の地図で確認できるだろうかhttp://t.co/fhaipdgCFL

2013-03-31 03:00:07
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梅林秀行 @chang_ume

明治22年(1889)地形図を色塗りしていると気づいたこと。現北山大橋から北の鴨川堤防上の巨木群は右岸にしかないなあと感じてました。左岸は桜のみ。この地形図で見ると、当時の鴨川堤防は右岸のみだったんですね。なるほど。謎が解けた。 http://t.co/fhaipdgCFL

2013-03-31 03:05:23
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梅林秀行 @chang_ume

あとは旧小川上流部には、「水車」がやたらありますな。水車マニア的にはたまらんだろう。 #水車 http://t.co/fhaipdgCFL

2013-03-31 03:07:18
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梅林秀行 @chang_ume

「最新大京都市街地図イロハ引町名早見」(昭和12年・1937)より。この地図では「若狭川」は依然として「小川」に合流している。御土居に並走していない。源流が尺八池じゃないのが気になるけど。 http://t.co/aeNcSRnNrn

2013-03-31 03:19:52
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梅林秀行 @chang_ume

次に「京都市全圖」(昭和16年・1941)より。この時点でようやく、「若狭川」は今と同様に御土居に並走してから鴨川に注ぐようになっている。 http://t.co/UTDVaZkh57

2013-03-31 03:22:54
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梅林秀行 @chang_ume

というわけで、地図記載の情報正確性に疑問はあるものの、「若狭川」の流路変更は、地図上では「最新大京都市街地図イロハ引町名早見」(昭和12年・1937)~「京都市全圖」(昭和16年・1941)の期間(4年間)になされたとひとまず結論付けましょう。ずばり昭和15年(1940)前後

2013-03-31 03:25:43
梅林秀行 @chang_ume

ちなみに古地図は、日文研・所蔵地図データベース(http://t.co/iFCNEdpokF)から取得しました。まともに使おうとするとスクリーンキャプチャしか手段がないので、一手間も二手間もかかります。デジタルアーカイブって一体。何のために、誰のために。

2013-03-31 03:28:49
梅林秀行 @chang_ume

はっきり分かったことは、御土居に並走する暗渠(若狭川)は堀遺構ではありませんということ。昭和10年代の流路変更によるもの。積年の疑問がすっきり解消。これで安眠できる。

2013-03-31 03:36:10