山本七平botまとめ/西欧の民主主義と全く異なる日本の「天意=人心論」的民主主義/~天賦人権論が蔑ろにされる理由とは~

山本七平著『1990年代の日本』/Ⅱ日本人の履歴書ー中国からの学習と勤労思想の確立ー/人民絶対と聖人待望「天意=人心論」/74頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①「民主主義とは何か、少数意見を尊ぶことである」などと新聞によく出ているが、これは少々おかしい。 というのはそれでは「満場一致」で少数意見ゼロとなれば、それが絶対化されるということになってしまう。<『1990年代の日本』

2013-03-24 23:27:58
山本七平bot @yamamoto7hei

②それが絶対化されれば「満場一致で人を裸にしてさらし者」にすることも、改宗を強制することも可能になってしまう。 これは西欧民主主義とは無関係な思想で、彼らの多数決原理はそれを適用すべき対象と範囲が厳然と存在している。 その意味で多数決は決して、すべてに対して絶対ではない。

2013-03-24 23:57:45
山本七平bot @yamamoto7hei

③一方日本には「全員の意向ないし民衆の意向は天意の如くに絶対である」という思想が西欧と接する以前からある。 日本の新聞は自分の主張をしばしば「民衆の主張」に仮託し、それなるがゆえに自分の主張は絶対でありかつ正しいとし、それが民主主義だとする。

2013-03-25 00:27:50
山本七平bot @yamamoto7hei

④こういう考え方を私は勝手に「天意=人心論」と名づけ「天賦人権論」とは別系統の思想から来たものと考えている。 どこから来たのであろうか。

2013-03-25 00:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤いや、その前にこの「天賦人権論」と「天意=人心論」という二つの「天=絶対」が矛盾した場合、これは「まる裸・さらし者」事件によく現われているが、どちらを絶対とするのか。 その場合は日本ではまず「天意=人心論」が絶対化され、「天賦人権論」は忘れられている。

2013-03-25 01:27:54
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥ではこの思想はどこから来たのか。 恐らく『孟子』であろう。 何しろ徳川時代に「聖書」といえば『四書』…の事であり、朱子がこれを絶対化しているから「朱子絶対」とすれば「四書絶対」となる。 佐藤直方なども「聖書」絶対という言い方をしているが、これは『四書』の事である。

2013-03-25 01:57:44
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦その中の『孟子』はしばしばその革命思想のために日本で拒否されたとされる。 そういう民間伝説が中国にあり――これはおそらく昔の船乗りに多かった様々のタブーの一つであろうと貝塚茂樹氏は指摘されているが――それを積載して日本に行くと暴風が起るとされていた。

2013-03-25 02:27:47
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧これを上田秋成が日本に導入し、そのためそう見られていた一面がないわけではない。 しかし一方において『孟子』はしばしば、幕府が、あるいは上皇・天皇を島流しにし、あるいは天皇を棚上げすることの、正当である理論づけに用いられている。

2013-03-25 02:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨古くは鎌倉時代にこれが北条義時の言葉として表われ、家康がなぜ天下をとったかの理論づけにも『孟子』が用いられている。 確かにこれは幕府にとってまことに「利用価値」の高い思想――勿論あくまでも「利用価値」だが――だから、否定されるはずはない。

2013-03-25 03:27:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩『四書』の絶対的権威は、幕末に至るまで少しも衰えていない。 後述する渋沢栄一の父は、富裕とはいえ一農民でありながら『四書・五経』を精読している。 いわば当時は『近思録』や『四書』は、それを読まねばインテリとは見なされない必読書なのである。 そのためであろう。

2013-03-25 03:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪一見まことに「民主主義的」に見える徳川時代の一部の思想家を探ると、その背後にあるものは、神農思想的全員平等農本絶対化思想と、孟子的天意=人心論的政治的人民絶対化平等思想の、一種のミックスである。

2013-03-25 04:27:54
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫『孟子』には人民平等で天意はこの人民の意向に表われるといった言葉は数々ある…『書経』…に『天は目がないが人民の目によって見、天は耳がないが人民の耳によって聞く』とあるのはこの事をさしている」…いわば人民が見るのは天が見ているのであり、人民が聞いているのは天が聞いているのである。

2013-03-25 04:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬従って人民が舜を受け入れるということは天が見、天が聞いてこれを受け入れることになり、人民がこれを拒否することは天が拒否したことになる。 こうなると「天意」すなわち「絶対的な意志」は人心の動向と無媒介的に一致してしまう。

2013-03-25 05:27:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭私はこれを「天意=人心論」と考えるが、こうなると「人民の意志」が「天の意志」すなわち絶対となる。

2013-03-25 05:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮これが民主主義と習合し、矢野暢教授の言われる「もどき」になると「民主主義もどきの孟子主義」になり、人民の意志は天の意志となるから、満場一致なら裸にしてさらし者にしてもよいし、改宗や棄教を強要してもよいことになる。 なにしろ、天=絶対だからである。

2013-03-25 06:27:59
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯さらに面白いことは、否、少々こまったことだが、孟子をそのまま「現代にも通用する民主主義」としている高名な学者もいることである。

2013-03-25 06:57:47