沼崎一郎先生@Ichy_Numaの「50年経っても、私にとって「アメリカは巨大な冷蔵庫に何でも入っている国」だ。もう何十年も前に日本も同じになったのに、まだ、このイメージが抜けない。」
50年前の今頃、仙台の付属幼稚園に入ったんだなあ。6月にはアメリカに行くことが決まっていて、母と祖母が深刻な顔で「アメリカ行くなんて幼稚園で絶対言っちゃだめだからね」と繰り返していたのを、今でも思い出す。
2013-04-09 00:46:30アメリカに行って、初めて電気冷蔵庫を見た。5歳児の背の倍以上ある巨大な冷蔵庫には、ミルクやソーセージが、いつでもあった。冷凍庫には、いつでもアイスクリームが入っていた。ものすごい驚きだった。あれから半世紀だ。
2013-04-09 00:50:2050年経っても、私にとって「アメリカは巨大な冷蔵庫に何でも入っている国」だ。もう何十年も前に日本も同じになったのに、まだ、このイメージが抜けない。
2013-04-09 00:53:56.@sendai_vintage_ なぜだと思います? 聞いたことないんですが、「変な目で見られないように」ってことだったんじゃないですかねえ。日本では、目立っていいことはありませんからねえ。それに、その当時は、海外へ行くなんて、ものすごーく珍しいことでしたから。
2013-04-09 00:58:0450年前にニューヨーク州バッファローで2年暮らして慣れ親しんだ味、身につけた習慣は、ずっと身体に染みついている。その後の留学時の体験よりも、インパクトは大きいかもしれない。
2013-04-09 01:05:51@ryuhei_tsuji 1963-65年に居たときには、ケンタッキーを食べた記憶はありません。BBQ味の鳥のモモ焼きでしたね。一本丸かじりを覚えた。今は、自宅の庭で、Weberのグリルで焼いてます。チキンBBQ。
2013-04-09 01:47:3550年前、1963-65年にバッファローに暮らしたときは、マクドナルドもケンタッキーも食べた記憶がないのですよ。高速のドライブインでハンバーガーやホットドッグは食べてたんだけど、黄色いMではなかったような。でも、そうだったのかなあ。
2013-04-09 01:50:22@ryuhei_tsuji もう20年以上前ですが、7月4日にボストンにいたことがあって、チャールズ・リバーに花火を見に行って、焼きたてのpretzelにマスタード付けてアメリカ気分を満喫していたら、隣の中国人の会話が聞こえて、中国語分るゆえに気分を台無しにされた記憶がw。
2013-04-09 02:10:31@ryuhei_tsuji @petitquimperois 土地そのものが接点なのではないのですね。土地の言葉、食べ物、行事などの「共体験」感が接点になるのですね。
2013-04-09 02:11:44ぼくにとっての「アメリカ」は、この年になっても、Peanut butter and jelly sandwich なんだよねえ。あとは、jelly beans と TWIZZLERS Black Licorice Twists だな。
2013-04-09 02:23:48食べ物以外では、ぼくにとっての「アメリカ」は、トイレの消毒液の臭いだったり、今では少なくなったけど、スーパーの大きな茶色の紙袋の手触りと臭いとか、テレビCMのあの独特の喋り方とか。
2013-04-09 02:26:25実は、星条旗もアメリカ国家も嫌いじゃない。幼い頃に、楽しい行事に付きものの旗と歌というイメージがすり込まれてしまっているから。頭で批判的になってからも、心は嫌いになれずにいる。
2013-04-09 02:29:53対照的なのが日の丸と君が代で、子どもの頃から、堅苦しい行事に付きものの旗と歌というイメージがすり込まれているので、どうしても好きになれなかった。おまけに頭で歴史を理解するとねえ…。
2013-04-09 02:31:04