藤原監督の【震災と「私的ドキュメンタリー」考】

東日本大震災と福島第一原発事故のドキュメンタリー映画について、「無人地帯」(予告編→http://www.youtube.com/watch?v=J4NLrlKKMVs)の藤原監督のつぶやきにいろいろ考えさせられたのでまとめました。 文中の見出しは、観客という立場のよたよたあひるがつけたものです。m(_ _)m
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toshi fujiwara/藤原敏史 @toshi_fujiwara

むろん「後ろめたさを自覚しろ」とか開き直って、それを観客へのメッセージだと言わんばかりにふんぞり返るってのは、これが結果として成功したのは今の日本、特に東京が異常なだけであって、人として根本から歪んだ、誠実さのかけらもない、身勝手な倒錯でしかない。

2013-04-15 01:33:41

「被災地被災者に向き合う【誠実さ】」と「時間を超えて通用する【私の思想】」と

※ 「誠実さ」について、藤原監督と@choir_tempestさんとの会話

ころぼ らす/koro borası/ @choir_tempest

@toshi_fujiwara 全然関係ないようで関係あるような気がするんですけど、「自分自身が自分自身に嘘を付いている」ということに就活を通して初めて気づきました。嘘を付いている自覚がなかったんです今まで。就活巧者って人は最後までもっと器用に嘘つけるのかなぁ、と思ったり。

2013-04-15 01:20:45
toshi fujiwara/藤原敏史 @toshi_fujiwara

@choir_tempest あ、鋭い。まさに今それ書いたところ。「私的ドキュメンタリー」で震災を撮ろうとしたら、「自分に嘘をついた」私の感情しか撮れないに決まってるわけで、それが「震災ドキュメンタリーでござい」って提示されたって、観客がいなくなっても当然だと思うよ。

2013-04-15 01:36:53
toshi fujiwara/藤原敏史 @toshi_fujiwara

@choir_tempest 続き)だったらまだ「お客様向けの人工的感傷主義」を、まあそれなりに完璧にやってるTVの方が、「震災を金儲けに」とか言われるんじゃないかと怯える心を「後ろめたさ」と偉そうに言い換える「不正直な私」の私的ドキュメンタリーよりは、見られる映像になります。

2013-04-15 01:44:58
toshi fujiwara/藤原敏史 @toshi_fujiwara

だいたい今の日本は、その場その場の上辺だけの自己正当化に執心し過ぎている。ドキュメンタリー映画を撮っている我々の大半も例外じゃない。でもそんな刹那的で自己中心的な「私」では、大自然の摂理とも、建設40年を経ていた福一の歴史とも、原発を生んだ日本近代史とも、対峙できるはずがない。

2013-04-15 01:47:54
ころぼ らす/koro borası/ @choir_tempest

@toshi_fujiwara 映画作家なんだから映画作って金儲けしないと食っていけないじゃないですか、っていうのはダメなんですかね(違うかな)<つづく>

2013-04-15 01:46:36
ころぼ らす/koro borası/ @choir_tempest

@toshi_fujiwara 「『素直に言って』後ろめたさがある」と、彼ら(自分含め)は言いたくなりますが、「世間からの批判」と「被災者被災地域をコンテンツ化すること」とをすり替えているような気がします。後者それ自体でものすごい後ろめたさがある気がするのですが……いかがですか

2013-04-15 01:48:18
toshi fujiwara/藤原敏史 @toshi_fujiwara

@choir_tempest つまり元からある意味「犯罪行為」なんですよ。ただモノを搾取しているわけではないので、撮っている相手に損害を与えない「画と声だけの搾取」なら、迷惑はかからない。言い換えればこちらが礼儀とか誠実さとか他者との付き合いの倫理を守り通すしかないでしょう。

2013-04-15 01:52:07
toshi fujiwara/藤原敏史 @toshi_fujiwara

@choir_tempest つまり「コンテンツ」て薄っぺらな言い草で終わるレベルのものだったら、そりゃ出てくれた人や撮った風景を故郷とする人たちにベタに失礼です。でもちゃんとした中身のある作品を作れば、出た人だって実害もないし、納得もしてくれるはずだと思うけど?

2013-04-15 01:54:00
toshi fujiwara/藤原敏史 @toshi_fujiwara

@choir_tempest …っていうかもっとはっきり言えば、「被災者被災地域をコンテンツ化すること」の後ろめたさって言い張ること自体が、実は「そういう言い方で世間から批判されること」を病的に恐れてることを隠蔽してる偽善にしか見えない。よく考えれば実害ないんだから。

2013-04-15 01:57:26
ころぼ らす/koro borası/ @choir_tempest

@toshi_fujiwara プロセスを含め、「出来上がったもの次第」なんですね。当然といえば当然、というより作品づくりの大前提ですね。 そういえば、「フェンス」を拝見した時には「他者を見る目」について考えた記憶があります……誠実さ、かんじました。

2013-04-15 02:00:52
toshi fujiwara/藤原敏史 @toshi_fujiwara

@choir_tempest 映画は「出来上がったもの」しかお客の目には触れないからね。しかもお客が見ている時点で、それを作った行為はすでに過去でしかない。だからある程度は時間を越えて通用する「私の思想」がなければ、感傷主義的な共感を搾取するしかテはなくなると思う。

2013-04-15 02:06:42
ころぼ らす/koro borası/ @choir_tempest

@toshi_fujiwara た、確かに汗 非実在青少年の議論に似ているような気がします。 「被災地域をダシにしやがって」と、世間(翻って自己の内面)から批判されることに対して(つまり自分に対して)「嘘」をついている、のかな。

2013-04-15 02:04:40
toshi fujiwara/藤原敏史 @toshi_fujiwara

@choir_tempest 逆に「非実在青少年の議論」のわけの分からなさが、今の説明でやっと分かった(^^;。昨日だったか被差別マイノリティの「自己差別」のこと書いたんだけど、つまりはマジョリティのくせに同じ心理状態なんだなぁ、と。自分を責める他者を内面に刷り込まれている。

2013-04-15 02:08:54
ころぼ らす/koro borası/ @choir_tempest

@toshi_fujiwara 「世間」というのを「海外」に置き換えて考えると、「海外では~」という議論が規制推進派から出てきて、いわゆる愛好者たちもその世間を受け入れて自分たちを(宮崎事件以降)犯罪者と自認しているきらいがあるように思います。病的かもだけど犯罪者じゃあないと……

2013-04-15 02:18:35
toshi fujiwara/藤原敏史 @toshi_fujiwara

@choir_tempest そこまで極端じゃないけど、他人様の不幸を安心できる距離感で、あくまで他人事として見物しながら「相手の気持ち」に安心出来る範囲内だけなっていれば、人間は安心して素直に泣けるわけで。ところが現実世界は、そんなに単純に泣いて済むもんだじゃない。

2013-04-15 02:19:29
ころぼ らす/koro borası/ @choir_tempest

@toshi_fujiwara 泣いて終わりなのはお芝居だけ……泣いて終われるゆえに悲劇にはカタルシス効果があるんですかね。「他人の不幸は蜜の味」って嫉みの文脈だと思うんですけど、そういう意味では共感や感傷の文脈でも読めそうですね。何しろ自分は安全地帯だし。

2013-04-15 02:24:23

「曖昧な私」から「世界と対峙する個の確立」を目指すということ

toshi fujiwara/藤原敏史 @toshi_fujiwara

震災後、3.11ドキュメンタリーがあまりに大量に作られ、しかし本数だけのインフレーションでこのジャンルがいわばすぐ廃れてしまった、その拙速さと短命さ双方に最大の理由は、結局日本のドキュメンタリーが「私的ドキュメンタリー」というプライベートな表現に傾き過ぎていたことなのだと思う。

2013-04-15 05:06:41
toshi fujiwara/藤原敏史 @toshi_fujiwara

日本の「私的ドキュメンタリー」は、よく考えれば「プライベート」の表現ではあったが、決して「個」の表現ではなかった。佐藤真が私的ドキュメンタリーに警鐘を鳴らしたのは、佐藤が「個」と世界の格闘という、本当の自分の表現を目指していたからかも知れない。「私」だけでは、その格闘はない。

2013-04-15 05:09:21
toshi fujiwara/藤原敏史 @toshi_fujiwara

それは結局、「私的ドキュメンタリー」を作って来た(主に都会で学んだ)映画作家たちが「私」には関心があっても、自分という「個」の確立を目指したわけではなく、その「私」というプライベートの輪郭が、世界や他者とのあいだに曖昧な境界しか持ち得なかったことを意味するのかもしれない。

2013-04-15 05:12:20
toshi fujiwara/藤原敏史 @toshi_fujiwara

映画作家がどんなに個性的な作品を作っても、それはその時代の反映でしかなく、どんなに個性的な作家でも、決してその社会、その世代と無関係に生まれるわけでもない。「私的ドキュメンタリー」が流行したのは、日本社会全体で「私という個」が曖昧化し、日本人が自分を喪失した時代でもあった。

2013-04-15 05:14:41
toshi fujiwara/藤原敏史 @toshi_fujiwara

ところでドキュメンタリー映画専門メルマガneoneoの活字版第二号が最近出版されたが、特集のひとつは「21年目の不在」と題した小川紳介特集だ。興味深い記事が並んでいるが、この特集自体が大きな空虚、大きな不在を無自覚に抱えている。小川が死んだから不在なのではない。歴史観がないのだ。

2013-04-15 05:17:25