【ディスカッション】コトバの旅:「感情的」OR「理性的」?なぜたった二つの表現に分かれるのか、タブーを恐れず語ってみた。
- tkatsumi06j
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@johnny_t_r 続き。つまり母親にもいろいろタイプがある訳ですが、原告団というものを構成すると一つの集団として見なされ、その中で際立つ存在だとそれが原告団の姿だと勘違いされてしまうこともある。そういう側面も、批判の一人歩きという現象の裏に得てしてあることではないかと。
2013-04-17 23:20:28こう書くと恐らく科学的知見を持ち出して反論されるかも知れないが、たとえ危険度が1%の事象でも、運悪く当たってしまった人にとって確率は無意味になることを忘れてはならない。危険度が低いことをどう捉えるかは、もはやその個人の内面に属する領域にあり、共感なしに批判だけするのは間違いなのだ
2013-04-17 23:28:09そう私は考える。 また「科学は正しい」ということが迷信であることは、今回の原発事故をはじめ、歴史が物語っている。特に評価がさだまっていないような事柄については、周辺の科学的知見も上書きされるものという前提が必要だろう。 さて、文才の限界か、話がとっちらかってきたので改めてまとめる
2013-04-17 23:40:55@r_taicho 隊長さんの独り言、さっきから追跡して拝聴しています。まとめ期待しています^^
2013-04-17 23:45:02@tkatsumi06j 頭が回らなくなってきたので、とりあえず中断します。 本当は、反戦を感情的と批判するなら、ゲルニカを書いたピカソをどう評価するか、なんて例を盛り込みたかったのですが、限界です。 おやすみなさい。
2013-04-18 00:17:29@tkatsumi06j 確かにそうですね。目立つ人が全体を代表していると見られるのは、よくある誤解だと思います。そして批判する側も同様に多様で、感情的か理性的か以前に、立場が全く違う人もいます。続く
2013-04-18 08:31:01@tkatsumi06j 続き 親は当然子を守ろうとしますし、他人を敵に回してでも子を守りたいと思う人だって少なくありません。一方他人の子を守るよりも、自分が社会生活を送る上での都合が優先される人もいます。でも、どちらも間違っていないと思うんですよ。続く
2013-04-18 08:41:59@tkatsumi06j 続く こういった感性や立場の違いを乗り越えて解決する手段として司法にゆだねるというのは、行動が公になって互いに批判され得ることまで含めて、いい方法なのではないかなと思っています。 続く
2013-04-18 08:47:16@tkatsumi06j 続き その中で、盲目的な人や親心を(まだ)理解できない人、大騒ぎする人を生理的に受け付けない人といった間での感情的な衝突が目立ってしまっていることが残念だと思います。
2013-04-18 08:51:11@johnny_t_r うまくまとめてくださいました。仰るとおり、感情的衝突のみが目立っていると思います。いずれにせよ、行動する側としない側では、しない側は傍観者として批判するのが関の山です。代わりに何かアクションを起こす訳ではないから、批判することが自己目的化するのでしょう。
2013-04-18 10:42:43