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山本七平bot @yamamoto7hei
①【三つ巴のサドカイ、ファリサイ、エッセネ】前述のようにヨセフスは、サドカイ派の神殿貴族の家に生まれ、エッセネ派を研究し、ファリサイ派として生きた、と自ら記している。<『存亡の条件』
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②もっともこのほかに、荒野にただ一人住む隠者バンヌスの教えも受けたといっている。 当時のユダヤ教には、この三派のほかに、ゼロテ(過激派)、シカリー(超過激派)がおり、鉄パイプならぬシカ(短剣)で、反対派を刺し殺していた。 シカリーとはシカをもつものの意味である。
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③そして、最後にはこの少数派が指導権を握るわけだが、しかしそれに触れる前に、おそらく全ユダヤ人がそのいずれかの考え方に属していたと思われるサドカイ、ファリサイ、エッセネの三派について簡単に記そう。 この点、一番明確で説明不要のものはサドカイ派である。
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④彼らは、ある意味で非常に自民党に似ている。 元来が神殿貴族であり、最も伝統的かつ保守的なはずであり、また外見的定義は確かにそうであったが、ギリシア=ローマ化を進歩といい得るなら、最も進歩的であった。
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⑤彼らに対する「旧約聖書のみを唯一の典拠とした」という定義は、今の言葉でいえば「形骸化し空洞化した」であろう。 事実、モーセの律法は、当時を基準としてすでに七百年から千年の昔のものである。 それをそのまま施行することは、歴史を逆行させない限り不可能である。
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⑥だが彼らはあくまでもこれを尊重し、外形的・形式的・儀式的な事はその伝統通りに実施しながらも、実質的には棚上げしていた。 ちょっと「戦後天皇制」のようなものである。 ただ、形骸化し空洞化すればするほど、外形的・形式的には重んじ、それのみを「典拠」とすると主張していた訳である。
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⑦彼らは最もギリシア化しローマ化していた。 そしてその全てが、恐らくヨセフスのように、その後半生をローマで送ろうと、別に何の不便も違和感も感じなかった人びとであろう。 事実、ユダヤ戦争の途中で、彼らの多くは、自国の過激派を恐れて、自分の国からローマの方向へ逃げ出している。
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⑧そしてこれと対極的なのがエッセネ派であった。 エッセネはキリスト教の母体(?)としてまた死海写本をつくった宗団として…非常に研究が盛んだが、今なお不明な点も少なくない。 ただこの宗団については…ローマ人プリニウス(大)も記しているので、同時代には相当著名な宗団だったらしい。
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⑨…それは一言でいえば「荒野の精神に生きる」と称する集団とでもいうべきであろう。 ユダヤ人は確かに元来は荒野の民であった。 しかしそれはヨセフスの時代には、既に千年以上も昔の話であり…彼らは既に中東の「箱庭」ともいうべきパレスチナの地に定着して農耕と牧畜を営む民族であった。
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⑩しかし周囲は遊牧民であり…そして彼らには伝統的に「荒野を正とし、農耕を非」とする考え方があった。 予言者は荒野から出、またその声は荒野に叫ぶ声であっても、天から下ってくるのでもなければ天の声でもない。 この理念化された荒野は既に彼らの一つの伝統となっていた。
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⑪また実際の遊牧民もしばしば理想化され、予言者エレミヤには、遊牧民「レカブ族」の理想化された描写がある。 彼らは、荒野は平等で自由、農耕は不平等で搾取と隷属と見た。 この見方は必ずしも実態無視ではない。 従って「荒野へ・自由と清純へ」という精神運動は常にあった。
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⑫そしてこの傾向、 「荒野に主(神)の道を求め」、 「新天新地新しい真のエルサレムを求める」 という行き方は、現在なお、キリスト教徒にもユダヤ教徒にもイスラム教徒にもあり、表れ方が違うだけである。
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⑬シリアとの戦争は、この伝統主義を高揚させ蘇生させ、再認識させ、理念化して再把握させた。 そしてハスモン朝が反動化すると、彼らの中にはこの王朝も故国も捨てて、本当に荒野へと移動していく者が出てきたのである。 『マカバイ記』に次のような記録がある。
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⑭「そのとき正義と公正を求めた多くの人たちは、妻子や家畜とともに(家も国も捨てて)荒野に下って住んだ。 …エルサレムにいた王の官憲や軍隊に、その…情報が入った。 そこで彼らは兵力をもって追跡し…安息日にこれを攻撃する計画をした。 そして彼らに向かって言った。
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⑮『王命に従え。そうしたら生かしてやる』と。すると彼らは答えた。『…王命に従って安息日を破るような事はしない』と。直ちに攻撃は開始された。 しかし彼らは(律法を守って動こうとせず)これに全くとり合わなかった。…彼らは言った。 『我々は(律法を遵守して)罪を犯す事なく死のう…』
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⑯こうして彼らは妻子や家畜もろとも殺されて、その数は千人に及んだ」 エッセネの生き方は、これが原則であった。 彼らは、サドカイ派が空洞化し形骸化しているものを、逆に理念化し徹底的に戒律化して、それを遵守することを「生きる」と考えた。
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⑰これを今の日本に適用すれば、新憲法を絶対的な戒律として、一切の軍備を排し、たとえ攻撃を受けても「戦争という手段」は徹底的に放棄して、そのためにすべてが減びようと武器はとらない、という絶対主義的行き方になるであろう。
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⑱そのため殺されることも辞さない―― しかし、この行き方が逆転すると、殺すことも自殺することも自殺を強要することも辞さないことにもなる。

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