芦田宏直先生@jai_anの「私は、教育とは〈新人〉の産出・発見だと思っています。」
国木田独歩が言ったように、どんな曲がった道でも、後から見れば、一本道でしかない。つまり本来の“曲がった時間”とは、その「一本道」との断絶の中で曲がっているのです。機能主義的な述語化に抗うのが、この“曲がった時間”なのです。
2013-04-24 23:56:26このパワーは、大衆的な規模で言えばキャンパスの「遊動」の中からしか出てこない。「遊動」とは、実は〈ストック〉のことです。無駄に大きな図書館。無駄に長いアプローチ。大小いくつもの大きさの教室。建物よりも数倍、数十倍も広い大きなキャンパス。これらは世俗の時間を曲げるパワーなわけです。
2013-04-24 23:57:28大地震が起こり、原発がメルトダウンし、多くの人々が路頭にさまよっても、うれしそうな顔をして地震や津波の「専門知識」を語り、原子力の「専門知識」を語る「遊動」学者の登場。飛行機が落ちても、戦争が起こっても、デフレでもインフレでも、そういった「遊動」学者がテレビや新聞に登場する。
2013-04-24 23:57:56〈新人〉が矛盾した存在であるように、ストックの“有用性”も矛盾した存在なのです。〈大学〉はいつもいい意味でも悪い意味でも〈新人〉のように清められているわけです。それは、機能主義的な述語を決して吐かない。
2013-04-24 23:58:33「産学協同」的な大学の社会化は反って、社会を狭くするだけのことです。それは単に“原子力ムラ”を作っただけのことなのです。不純な新人だったわけです。
2013-04-24 23:58:48大学は、〈新人〉を発掘・発見する最後の学校教育の牙城です。これは決して、大学全入時代以前の、大学ノスタルジアではありません。「できない学生」=全入学生ほど、短い時間の「必要」で生きている。何を言っても「何の役に立つの?」と聞いてくる。これは動物的な生死反応に近い。
2013-04-25 00:03:25「勉強ができない」からと言って、この子どもたちを大学の外に追いやったら、彼らは一生、生活=生死に追われることになる。機能主義者のように述語ばかりを拾い集めて生きることになる。〈新人〉になる契機を永遠に失うことになる。
2013-04-25 00:04:02「できる学生」は意味のない受験勉強で、多少の遊動経験があるが、受験を経ないで社会に出る「できない学生」は、動物のように必要で生きている。だから使い捨て人材になる可能性も高くなる。必要は別の必要によっていつも代替され続けるからだ。
2013-04-25 00:04:30高校までの教員も、仕事で=必要で「知識」を扱っているだけだが、大学の教員は寝ても覚めても勉強している(徐々にそんな教員は減ってきているが)。だから、純粋な知識、遊動としての知識に一度は出会うべきなのです。「できない学生」ほど大学に行くべきだと私は思っています。
2013-04-25 00:05:03リベラルアーツとは、その先を見せない教育。 RT @taki925: @jai_an 先生、リベラルアーツとは何なんですかね。。どうも俺は教科書の表紙を舐めた程度らしいのです。…先生のBlogを読むと、俺は根本をすっ飛ばしてる感じがします。
2013-04-25 09:00:46