@gumB46 例えば、対象であるりんごから、「同時に」そのりんごである性質が全て取り除かれていれば、そこには「りんごでないりんご」が残るのではないか。
2013-04-26 02:44:44@3or7935 「そのりんごである性質がすべて取り除かれ」ているその「りんご」を、私がどのように認識するのか、想像し難いですね。何の性質も持たない、単なる「りんご」として私が認識する何か。
2013-04-26 02:48:38@gumB46 仮にそれをりんごとして認識できるとするならば、その時には「それが『りんご』だと認識できるために、その『りんご』が『りんごである性質』を何一つ必要としない」一般化する時には「りんご」を「何か」に置き換えて見せる。
2013-04-26 02:52:41「AであるAでないもの」を可能な事して否定しない時には、先ず無矛盾律を否定するか、それとも「言葉の問題」のレトリックとして受け入れるのか。
2013-04-26 02:59:48@gumB46 「~単なる「りんご」として私が認識する何か。」というこれは「仮にそれがりんごとして認識できても、それは「当初のりんご」とは異なる何かをりんごと「いっている(認識している)」に過ぎない。」という感じでしょうか?
2013-04-26 03:04:38@gumB46 別の意味を同じ言葉に当てはめてる。(前提が違うなどの)別の命題として考えて並べるとレトリック。若しくはその論じ方によっては詭弁とも。
2013-04-26 03:07:28@3or7935 すみません、書き方がよくなかったです。「りんご」としての性質を何一つ持たない「りんご」を目の前にしたとき、それを私はどのように認識するのだろう、と思ったのです。
2013-04-26 03:10:16@3or7935 普通の場合、「りんご」と認識するとき、その認識には「性質」がついてきますから、「おいしそう」とか「甘そう」とか「赤い」とか感じます、認識します。「りんご」と認識するということは「おいしそう」等と認識することと、同じことではないか、と思ったのです。
2013-04-26 03:12:21@3or7935 なるほど。「妹」みたいに、感情的にこうであると語りたくなるものだと、なおさら危ういなと感じました。詩的に論じたくなる。
2013-04-26 03:14:29@gumB46 そこで語られている妹というのは妹全ての集合やその総体である等の内その中のある「ある特定の妹」ないし「特定のその集り」ではないか。その時に「妹」として捉えた事を後の局面で突如「『妹』で表せる概念の総体」としての「妹」に言葉が同じであるために置換るのであれば、見誤る。
2013-04-26 03:22:57