四日市公害の概略 〜塩浜地区の住民移転
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郡山疎開裁判での判決文を読んで想起するのは、四日市ぜんそくにより、塩浜中学校と四日市商業高等学校の定時制課程(富田地区移転後は四日市北高等学校に改称、現在の三重県立北星高等学校)が移転した件。塩浜地区の住民も鈴鹿方面に集団移転している。昭和40年代の話。
2013-04-27 13:41:55公害関係法令が未整備というか、係争中だった頃でさえ、集団移転や学校の移転が実現しているのにな。半世紀近くたって、自治体がそれを決断できないとは実に不思議な話だよな。
2013-04-27 13:43:28「塩浜地区では公害による生活環境悪化から逃れるためある一部の町である雨池町と平和町の住民が四日市西部の鈴鹿山脈側に集団移転で引っ越してゴーストタウンの様に消滅した町もあった」http://t.co/jHkMVi6qJi
2013-04-27 13:50:02「小学校の男子児童が佐藤栄作総理大臣に手紙を書き、夏に公害対策として窓の閉鎖が行われて暑さから授業ができずクーラーを設置してほしいと救援(sos)の手紙を書いた」佐藤栄作が総理の頃だよ。これ。福島でもあったね~。
2013-04-27 13:51:261967年塩浜中学校3年生の女子生徒が、東京への修学旅行で塩浜よりきれいな空気が吸えると楽しみにしていた直前に喘息による心臓発作で15才の若さで病死した事で、1500人の四日市市民によって大規模な追悼集会が開かれ「彼女が死んだなんて言うな殺されたのだ」のプラカードが掲げられた
2013-04-27 13:55:19四日市公害患者を守る会の副会長を務めていた60才の原告の男性が1967年(昭和42年)6月に加害者の企業への怒りや公害対策や取締りをしない四日市市へは「平田佐矩市長が四日市が経済発展をするために必要と嘘をついた」と不満を記した日記と遺書を残して喘息を苦にして自殺。
2013-04-27 13:58:25「米本裁判長は片方の視力がほとんどなかったが、熱心に資料を読んでいたと伝えられる。判決前の取材に「裁判所は消極的な救済しかできない。公害問題の本当の救済は、強力な行政の力が必要」と話していたといい、翌25日に定年退官した」http://t.co/RZf3kvUHDK
2013-04-27 14:24:35「昨年の春、福島第1原発の事故が発生した。「とても対岸の火事とは思えなかった」と沢井さん。放射線で住む場所を追われる住民たちの姿は、四日市公害の歴史とも重なった」高校生のほうが偉いじゃないか。どっかのアカデミズムよりも http://t.co/ntJFAH8oxP
2013-04-28 01:20:47追加 共同不法行為について
【資料】「共同不法行為と加害行為の到達問題 ~建設作業従事者のアスベスト被害とアスベスト建材メーカーらの共同不法行為責任を契機に~」(松本克美 立命館法学2011 年5・6 号(339・340号) http://t.co/G5MuWYYoAn
2013-04-28 21:17:37↓四日市ぜんそく訴訟が共同不法行為について踏み込んだのでその追記として、また同訴訟では三重県立医大の吉田教授の疫学四原則に基づく証拠が証採されたことも。
2013-04-28 21:29:10【資料】「四大公害裁判期における疫学的因果関係論1967-1973」住田朋久 東京大学教養学部哲学・科学史部会 哲学・科学史論叢. 第十三号, 2011年3月 http://t.co/sRtiMFw8Kx
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