いつから「屈辱の日」と呼ぶようになったのか
へぇ、ちょっと覗いてみたいなぁ。僕が関心あるのは、「その後、何が改善されて、何が改善されていないのか?」なのだけど…「タイムス | 南風原文化センターで「屈辱の日」展」 http://t.co/oahggqscuY
2013-04-25 19:08:07主権回復式典等でもめておるようですが…。南風原文化センターでやってる検証4.28「屈辱の日」展と、その座談会を観てきた。なんで「屈辱」なの?という部分について、沖縄の戦後史の時系列を並べる形で答える展示内容だった。 http://t.co/Ok4OVK40ey
2013-04-28 18:19:14興味深かったので、帰りに県立図書館で当時記事を探したのだけど、当時は「屈辱の日」という認識ではなかった様子。1952年4月29日付の沖縄タイムス社説では、まず「祝福」の言葉があって、その後に「取残された溜息」と続いている。 http://t.co/gb4j7BAoKI
2013-04-28 18:25:25当時の琉球新報社説の方は、戦時中の記憶が強く残っているためかちょっと慎重姿勢。「…これがわれわれ琉球住民にいかなる意味を持つものであるかは、全く未知数である。」という感じで、特に「屈辱」の文字は見られない…。 http://t.co/yyznQ8rCcX
2013-04-28 18:29:33いつから、どのような経緯で「屈辱の日」と言われるようになったのか、が気になったのだけど、誰か検証してる人とかいないのかな?展示会の方で紹介されてるのかと思ったら、ちょっと僕が思ってたのと違ってた。
2013-04-28 18:36:52当初は沖縄もじきに復帰できるという期待があったけど、しだいに落胆に変わったという感じなのかな?でも、それだと屈辱というより落胆の日だよなぁ…。 「潜在主権に期待 当時の報道 被害相次ぎ失望へ「屈辱の日」 - 琉球新報」 http://t.co/45MRvXfAP8
2013-04-28 22:22:35よく根拠に使われてるのは「天皇メッセージ」なんだけど、君側の奸が多い印象があるから微妙…。別所での発言等とイマイチ整合性がないこと多いし…。しかも、これ1979年の発表らしい。 http://t.co/WJMqbbq7Gv http://t.co/pEwElfOqNA
2013-04-28 22:36:24「奄美返還の日」説かぁ…、これは興味深い。「大島人による…」みたいに、50年代の沖縄の新聞見出しとか明らかに差別的だもんね。可能性が無くもないのか?……でも、講和条約発効の日とは違うよね……。 『屈辱の日②かも』 http://t.co/WANvRJD4hg
2013-04-28 22:46:18@ftoku はじめまして。気になったのでリプライします。もしかしたら、この記事が参考になるかもしれません。>61年4月8日「屈辱の日」は生まれた 復帰協、総会で決定 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース http://t.co/txUJ51AqZJ
2013-04-28 22:51:44おお!ありがとうございます。気になって夜眠れなくなるところでした。 RT @a0330021 はじめまして。気になったのでリプライします。もしかしたら、この記事が参考になるかもしれません。 http://t.co/YvWMRCbk2w …
2013-04-28 22:59:16@ftoku 実はftokuさんが紹介された記事「潜在主権に期待~ http://t.co/ps1qn8Rn5f 」の「次の記事」というリンクにありました。自分のいつからだろうかと思っていました。
2013-04-28 23:01:30教えて頂いた記事によると、沖縄県祖国復帰協議会がつくった言葉だったんだねぇ。復帰前に作られた言葉だから、復帰後の今は違和感があるのかも知れないなぁ 「61年4月8日「屈辱の日」は生まれた 復帰協、総会で決定 - 琉球新報」 http://t.co/YvWMRCbk2w
2013-04-28 23:30:04いやまて、まて、冷静になって考えたら、「屈辱を受けた対象への復帰を呼びかける運動」って、かなり捩れてるよね?意味が分からなくなってきた…。復帰前を知らない僕には、ちょっと当時の人たちの感情を上手く捉えきれてなかったりするのかな? http://t.co/YvWMRCbk2w
2013-04-29 00:58:17「いつから「屈辱の日」と呼ばれるようになったのか」をトゥギャらせてもらったその後、他にも幾つか資料を見つけたので、後々同様の疑問を感じて探す人の役に立つかなと思い追記しておきます。 http://t.co/5nXTJ0rgld
2013-05-03 20:10:07講和条約発効の翌日記事。僕の切り抜きよりこっちが読みやすい。「歴史の峠に立ちて(1952年4月29日 沖縄タイムス社説)」http://t.co/zq6DhBVqQV
2013-05-03 20:10:47「…とにかく明るい希望を失わずに、平和と自由を求めて、祖国日本とわが琉球の健やかな民主的成長を祈りつつ、日本の独立復帰を祝福することにしたいものである。」 http://t.co/zq6DhBVqQV
2013-05-03 20:11:35おそらく「屈辱の日」が掲載された最初期の記事 1961年4月29日付の沖縄タイムス http://t.co/bOSDSiDsi8
2013-05-03 20:12:48おそらく「屈辱の日」が掲載された最初期の記事 1961年4月29日付の琉球新報より祖国復帰協議会の宣言文の部分 わかりやすく赤字でマーク入れてみますた(^_^) http://t.co/e2cWjsDsvU
2013-05-03 20:19:03社説含めて時期の近い幾つかの記事を軽く目を通したけど、この復帰協の宣言文以外では見当たらず、また特に「屈辱の日」という言葉がクローズアップされているわけではなかったです。
2013-05-03 20:20:20私と同じテーマの記事が4月26日付の朝日新聞にありました。「「屈辱の日」起源いつ?……地元紙・沖縄タイムスが最初に「屈辱の日」と報じたのは、61年4月29日だった。」「朝日新聞デジタル:沖縄の屈辱、今も 4・28政府式典に抗議」 http://t.co/nwCrcQFrRW
2013-05-03 20:20:48「…激烈な地上戦を生き延びてなお、米軍から強制的に土地を奪われないといけないのか。米兵から性被害を受けて泣き寝入りを迫られるのはなぜか――。「捨て石」「犠牲」という言葉も出た。誰かが「屈辱」と言い出すと、賛同者が相次いだ。」 http://t.co/x0ZTRQPDPv
2013-05-03 20:22:55「沖縄現代史が専門の新崎盛暉……は、「条約発効直後は心情的な復帰論が強かったが、米軍基地が広がるにつれ、本土復帰の思いと見捨てられたとの愛憎が積み重なる中で、『屈辱』感が浸透していった」とみる。」 http://t.co/x0ZTRQPDPv
2013-05-03 20:23:26以前僕が不思議に感じた「屈辱を受けた対象への復帰を呼びかける運動って、かなり捩れてるよね?」という疑問に対する回答っぽい箇所もあるなぁ。「…本土復帰の思いと見捨てられたとの愛憎が積み重なる中で、『屈辱』感が浸透していった」 http://t.co/x0ZTRQPDPv
2013-05-03 20:24:07「愛憎」というとわかんなくもない。日本本土が沖縄の愛に応えてくれないことに対する憎しみなわけだ。どちらかというと利害の問題として捉えがちな僕には、ハードルの高い話だったわけですね……。
2013-05-03 20:24:36