いつから「屈辱の日」と呼ぶようになったのか

1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効の日を「主権回復の日」として式典を行うにあたって、沖縄では米軍統治が確定された「屈辱の日」として認識されていることを巡って様々な議論がありました。ここでは、いつから「屈辱の日」と呼ぶようになったのかという疑問から、答えに辿りつくまでの紆余曲折をまとめています。 その後、幾つか資料を見つけたので追加しました2013/05/03
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ftoku @ftoku

コメで「だれが何をどう屈辱だと思っているのか?」という疑問があったので整理すると「日本政府が沖縄の本土復帰の願いに応えてくれず米軍統治が続くことを、復帰前の祖国復帰協議会は屈辱と認識していた」という感じ…その始まりの日が4.28だと http://t.co/5nXTJ0rgld

2013-05-03 20:25:02
ftoku @ftoku

祖国復帰運動が発端なので、主語は復帰“前”の復帰協とそれに賛同する沖縄住民(あえて県民全てとは言わない)。途中、屈辱を受けた対象をアメリカと勘違いしていたりしないだろうかとも思ったけど、「捨て石」「犠牲」というのも候補にあったようなので、明確に日本政府ですね。

2013-05-03 20:25:33
ftoku @ftoku

今回、いつから「屈辱の日」と呼ばれるようになったのかを知ったことで、復帰後、この言葉があまり使われていなかった理由もわかるような気がします(復帰協も'77年に解散している)。いくつかのネット上の言説を見るに復帰以降の世代のほとんどは知らなかったようにも思う。

2013-05-03 20:26:01
ftoku @ftoku

その後、復帰しても米軍基地すべてが片付いたわけでもなかったので、期待はずれだったとか不満が残ったとか、まぁ色々あるんだけど、でも確実に当時とは文脈が変わっちゃってるんだよね。

2013-05-03 20:26:39
ftoku @ftoku

こう整理することで、「復帰“後”の現在において、屈辱の日という言葉を運動で使うことがどのような意味を持つのか?」あるいは「どのような効果が期待できるか?」等の新たな問いが考えられるけど、僕のまとめはここまでにしておこうと思います。

2013-05-03 20:26:54