沼崎一郎先生@Ichy_Numaの「寛容とは、思想上の戦争放棄である。「イデオロギー紛争を解決する手段としての武力の行使または武力による威嚇は、永久にこれを放棄する」という非戦原理主義である。」

非寛容に対しても寛容たりうるのか? そう批判者は問い、答えられないだろうと嗤う。しかし、このアポリアこそが、寛容を要請するのである。そこに気づかなければ、寛容の意義を掴むことはできない。 by 沼崎一郎
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沼崎一郎 @Ichy_Numa

適当主義とは、いかにもいかにもな相対主義2.0。笑止千万。

2013-04-29 14:04:18
沼崎一郎 @Ichy_Numa

寛容とは、思想上の戦争放棄である。「イデオロギー紛争を解決する手段としての武力の行使または武力による威嚇は、永久にこれを放棄する」という非戦原理主義である。

2013-04-29 14:11:35
沼崎一郎 @Ichy_Numa

だから、寛容は、常に日本国憲法九条と同様の批判、非難、嘲笑と蔑視に晒されてきた。

2013-04-29 14:16:03
沼崎一郎 @Ichy_Numa

非寛容に対しても寛容たりうるのか? そう批判者は問い、答えられないだろうと嗤う。しかし、このアポリアこそが、寛容を要請するのである。そこに気づかなければ、寛容の意義を掴むことはできない。

2013-04-29 14:22:17
沼崎一郎 @Ichy_Numa

この発想が、よくある間違い。なぜ、殺されると決めてかかる? 寛容になったほうが、非寛容でいるより殺されないんだよ。 RT @guchinandayo: 己の生存を中止してでも寛容を持続するなら認められるが、自己が死ねば寛容も無になるからなあ。

2013-04-29 14:31:04
沼崎一郎 @Ichy_Numa

不信と恐怖が非寛容を生み出し、非寛容が不信と恐怖を強める。お決まりの悪循環。この悪循環を断ち切るための寛容。

2013-04-29 14:37:24