渡邊芳之先生@ynabe39の「意見と人格を分けるっていうのは「学問的議論をするためのテクニック」「ディベートのためのルール」であって、学問を目指したりディベートを求められたりする人が習熟すべき技術なのは確かだけど「すべての場面でみんながそうしなければならないこと」ではない。それは区別したほうがいい。」
「僕は人を属性で判断しません。勉強のデキ、性格の良さ、趣味の共通性、一緒にいて楽しいか、また容姿や性別で仲良くなる人を決めます」っていうのと人種差別や民族差別に大した差なんてないよね。
2013-04-28 16:44:50意見と人格を分けるっていうのは「学問的議論をするためのテクニック」「ディベートのためのルール」であって、学問を目指したりディベートを求められたりする人が習熟すべき技術なのは確かだけど「すべての場面でみんながそうしなければならないこと」ではない。それは区別したほうがいい。
2013-04-28 17:08:33そういえば、創造論を信じていない人がディベートの席でゲーム感覚で創造論側に立ったことに、ドーキンスはご立腹だったような記憶がある。
2013-04-28 17:18:04ちゃんとフリップとかで「ただいま討論中:意見と人格を分けよ」「ただいま交渉中:意見と人格を総合的に見よ」とか指示してくれたらいいのにね。
2013-04-28 17:20:53「意見と人格の区別」を徹底すれば「議論される問題の当事者は議論には参加すべきでない」ということになりますし、あらゆる問題について当事者ではない「議論だけを生業とする者」にだけ議論を委ねるべき、ということになります。これは冗談でなく。
2013-04-28 17:27:55@ynabe39 中学時代に生徒会の役員として丸刈り校則を撤廃するための運動を起こさせられたとき、全校生徒の前で「丸刈り賛成」の役を担当させられて、心にも無いことを発言させられた挙句、ヤンキーたちにトイレットロールを投げつけられたとき依頼ずっと、極度なディベートぎらいです。
2013-04-28 17:30:06まさにそういうことで「テニスのゲームだ」と双方が割り切れるような問題では「意見と人格を分ける」ことはできるし分けた方がゲームは面白くなるけど、世の中には割り切れない問題もたくさんあるよということ。
2013-04-28 17:31:34そもそも学問というのは「深刻な問題をあえて知的なゲームにしてしまうもの」なんだから、そこでは意見と人格の区別は必要だしそうしたほうが学問も進歩する。しかし学問でも「研究と運動の区別」みたいな問題になるとそう簡単にはいかなくなる。
2013-04-28 17:34:09「それを訴える利益がある人間の訴えは、利益誘導的だからダメだ、政治は純理性的,合理的なければならぬっ」 QT @ynabe39 政治的社会的な問題でも「意見と人格を分ける」を徹底すれば、ややもすると「悪趣味な討論ゲーム」[…]
2013-04-28 17:46:12意見と人格を分ける、ということが徹底されるためには「自分の意見が否定されても自分の地位も生活も収入も権利も自由も影響を受けない」という安心が必要なんだろうと思う。「学校で行うディベートゲーム」はまあそうだよね。
2013-04-28 17:46:25@ynabe39 先日から同様のことをおっしゃっていて、とても興味深いです。 どうしても学問的にではなく、善悪などのフィルタをかけてしまうので、違和感を覚えてしまいます。 RTされている論だと、前者後者の構造は同じですが、民族差別や人種差別が正当化される事になり得る論ですよね。
2013-04-28 18:17:59@ynabe39 学問的には善悪の判断は関係なく、同じ構造をしている、という事になると思うんですが、これは受け取った側がどう判断するかに委ねられる事になるんでしょうか。 と書いていて、少し見えてきました。 先生は構造を語っているだけで、周りがフィルタをかけて絡んでくるだけか。
2013-04-28 18:24:37