- rockets_yamada
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『どうも俳壇というところはあれこれもつともらしい御託宣が多すぎると思います。それを俳句という言語表現の中で実現しているかどうかにこだわらなければ、何とだって勇ましいことを言えるわけでしょう。→
2013-05-12 12:57:26→そういう人たちにかぎつて、それを言語表現として実現しようとしている人を、言葉のみにこだわるなどと言つて批判するけど、具体的な作品を見ると、この人はこの程度かということになりやすいんですよね。』(高柳重信)
2013-05-12 12:57:37高柳:「野仏に刺さり断末梅の山 谷佳紀」などという句が出てくるわけですね。そこで、ぼくなどはびつくりして、何も言う気がしなくなる。ぼくにはこの句はですね、いつたい「断末」つて何だろうと思つてしまうのですね。→
2013-05-12 12:59:43→ 金子:ぼくにはよくわかるな。 高柳:あなたのそういうところが、ぼくにはわからないんですよ。 (対談「俳句にさぐるもの」金子兜太・高柳重信)
2013-05-12 13:00:27高柳:その「断末」というのは、どういうことなのですか? 金子:同じことですね、あることがグーッと進行してきて、そこでパッと断ち切られることです。魔がつくか、つかないかは別ですな。だから語源的には断末魔ですが、いまは断末という言葉もあります。それがちよつとあんたの独断になりますね。
2013-05-12 13:08:19→ 高柳:それはあなた本当ですか。それでいいのですか。 金子:それでいいのです。どうもあんたにはお託宣が多すぎる。 高柳:それは曲りなりにも、意味が通ればいいという立場ですね。 金子:曲りなりに、などとモッタイをつける必要はない。ぼくにはこころよい感応がありますよ。
2013-05-12 13:08:35@rockets_yamada 「末魔」という言葉はサンスクリット語が元になっているそうですが、「断末」とは言わないですね。
2013-05-12 13:11:38@rockets_yamada そういうことをやってくれるタレントがいなくなりましたね。みなさんスマート。個人的には、正しさでいえば重信、勝ち負けでいえば兜太に軍配をあげています。
2013-05-12 13:17:11これは「末魔を断つ」といふ成句で、末魔はサンスクリットの漢語音写なので、この勝負、金子大人の負けですね。 @rockets_yamada
2013-05-12 13:32:22@rockets_yamada おもしろい対談ですね。高柳さんがおっしゃってること至極まっとうと思いました。「末魔」の話も出ましたか?
2013-05-12 13:46:40@imawik はい。断末魔の語源について触れた上での発言です。正しい正しくないはおいといて、二人のケンカっぽいやりとりが面白かったです。
2013-05-12 13:51:15@rockets_yamada 髙柳は理屈っぽいですが、わりに正論をはくタイプだと思います。兜太はちょっと、煙に巻くところがありますね。
2013-05-12 14:00:46「うねりをかくしわが裏山は東(あづま)に一つ 竹本健司」の句の解釈を巡ってのふたりのやりとりがすごく面白いんだけど長いので引用やめ。
2013-05-12 14:13:09「うねりをかくしわが裏山は東(あづま)に一つ 竹本健司」 高柳:あなたがいきなりこの「裏山」を、東の方にあるときめちやつているところが、ぼくには腑に落ちなかった。 金子:「東(あづま)」がある。 →
2013-05-12 14:17:22