数の論理 資本主義と民主主義の相克
- Hagiasophia765
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【数の論理】こういう事を書くと、政治学の先生に怒られるかもしれんが……。政治においては「数の論理」が正義だと長年説かれてきた。いかに、支持者の数を増やし、如何に政策を実現するか?だ。
2013-05-15 13:57:14【数の論理2】醒めた見方をすれば、レイシズムを標榜する団体だとて数の論理を達するために、過激な物言いをして支持者と充実感を集めているのではないか?と見ることもできる。すべての陣営のデモもしかりだ
2013-05-15 13:58:57【数の論理3】無論、数の論理は悪いことばかりじゃない。コンセンサスを得る上で重要な道具になりうる。で、ここからが本題なのだが……。目下の所、現代に有効な思想のうち、有力なもの二つが数の論理をその中核としていると、俺は考える
2013-05-15 14:01:11【数の論理4】でまあ、その二つに触れる前に、少し横道。そもそも、その時代において非の打ち所のない主義主張っていうのは、究極の形で実行する事に批難を恐れない主義だと思うのよね。ソ連の共産主義、諸国の王政、神権政治。今の時代から見れば欠陥だらけでも、少なくとも当時には無謬性があった
2013-05-15 14:08:11【数の論理5】で、今の時代に支配的に無謬性をもつ主義主張が、二つあるそれは、民主主義と資本主義だ。どちらも数の論理を中核とする思想だと、私は思っている
2013-05-15 14:10:38【数の論理6】すなわち、民主主義は国民に公平な秘密投票権を保証した政治体制を標榜する思想である。その根幹に一人一票の理想があることは言うまでもない。間接制であってもだ。民主主義の定義はイマイチ定まらないので、この程度にしておく。重要なのは、票の多寡が重視される事だ
2013-05-15 15:16:21【数の論理7】さて、もう一つは資本主義だ。すべての人々に資本の所有(資本を与えるわけではない)を認め、その資本の多寡で意思決定を行う手段である。なお、その意思決定の範囲は、時々と環境によって様々な制限を受ける。ちなみに、資本には金融、物的、人的という三カテゴリーがあるそうである
2013-05-15 15:21:35【数の論理8】この二つの思想は歴史上、一見すると共存してきたように見えるが、実は相克しあっている。コチャバンバ水紛争を取り上げるまでもなく、資本主義を背景とした各種公害訴訟問題、原発とて産業効率を通じて資本の論理で語られた。すべてに混同がないわけではないが資本という概念と不可分だ
2013-05-15 15:32:05【数の論理9】3.11後の脱原発の推移とは、すなわち民主主義的な民意という数の論理が、資本主義的な経済性(現実性)という数の論理によって組み伏せられた過程。すなわち民主主義が資本主義に敗北した過程ではないか?と思うのである
2013-05-15 16:13:03【数の論理10】今の日本の富の分配と再分配は、すべて資本主義によって賄われている。福祉も資本主義の枠組み内において許容されているに過ぎない。そして、その仕組みは私企業が唱える「ビジネス感覚を政治に持ち込む」なる、巧妙なお題目によって、益々強化されるだろう
2013-05-15 16:15:59【数の論理11】そもそも建前上は「民主主義」という思想で動かされている政治の場に「資本主義」に基づく「ビジネス感覚」とやらを持ち込めば、思想バランスが崩れるのは、直ぐに推測できるだろう。民主主義を掲げるならば、「経済合理性」の安易な政治への転用は避けるべきである
2013-05-15 16:21:33【数の論理12】内政改革への「経済合理性」の転用は危険である。内政改革は「情報公開」と「政治参加機会の増大」という民主主義の充実によってなしうるべきなのだ。極端な例でいうなら直接民主制への復古も視野にいれるべきだろう。無論、他の手段もありうる
2013-05-15 16:23:18【数の論理13】話を戻そう。田中角栄はかつてこう言ったそうだ。「政治は数であり、数は力、力は金だ」これは、字面通り読めば真実であり、歴史はそのように動いた。そして、資本主義も民主主義もこの点において、同じであるように見える。見えるだけだがね
2013-05-15 16:26:12【数の論理14】また、資本主義も民主主義も同じ物をもう一つ扱っている。それは自由だ。民主主義は自由を個人に与え、その自由に基づいて自治を達成する。自由のない民主主義など成立し得ない。一方、資本主義もまた自由を個人に与える。それは資本によってだ。
2013-05-15 16:28:49【数の論理15】資本主義において、自由とはすなわち資本、とりわけ金融資本を指す。すなわち、金融資本によって他者から物的資本や人的資本を得て、それによって自らの中に自由となる時間や環境を生み出すのだ。これが資本主義で言うところの自由であり、一般に言う自由に通じる。
2013-05-15 16:33:27【数の論理16】こう書くと、民主主義と資本主義は相補関係に見えるが……。実のところ資本主義は民主主義を必要としない。論を並べて説明することもできるが、それはしない。一党独裁の中国で資本市場が機能していることからも、それは理解できると思う
2013-05-15 16:36:53【数の論理17】同じように共産主義と民主主義もまた共存できるように見えるし、相補関係を築くことも可能に見えるかもしれないが、共産主義もまた、民主主義を必要としない。それは旧共産圏の一党独裁を見れば明らかである
2013-05-15 16:38:45【数の論理18】そして、民主主義を必要としなくなった資本主義は、今や民主主義を、自由の味を覚えさせるためのモデルハウスとして使い始めたのだと、私は考えている。この事態において民主主義を擁護するには、インフラとしての市場システムを如何に民主主義に沿った形に整備するかが課題だろう
2013-05-15 16:42:13【数の論理19】市場のインフラ化。すなわち、市場参加者の生存権を含む自然権を「資本の暴力」や「システムの機能不全」から保護する仕組みを編み出す必要が有るのだ。それは、まさに「非効率な民主主義」を許容する過程でもある。胸を張って宴の丘から降りる過程でもある。
2013-05-15 16:45:45【数の論理20】確かに数の論理は真実かもしれない。損得勘定で考えれば資本主義こそ至高の思想かもしれない。しかし、目先のことに目を奪われて資本主義を民主主義の上に頂けば、遠からず民主主義は滅ぶのだ
2013-05-15 16:48:34アンクルトムの小屋があって、奴隷制から民主主義が解放された。むろん、文明の進歩によるところも大きい。しかし、今度は文明の進歩を悪用する資本主義によって、また民主主義は奴隷制にとらわれるのだ。その支配者を資本主義と言う
2013-05-15 17:06:24