@yutakioka 「ナンセンス」という人がたいてい「ナンセンス」である件 にいたるツイート #nonsense

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瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku 今日もまた難問ですね。私の宗教に対する考えも、人間の内面を捉えなおす働きを持つ物で、科学が答えない質問に答えるための物だと思います。科学はどのようにして、何がという質問には答えられますが究極的にはなぜの質問に答えられないのです。続

2010-09-14 10:49:38
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku 科学は、ピサの斜塔で初速0で物を落下させたとしますねここでこの物体Xがどのように運動していくか(どのように)また何が物を落下させる外的要因か(なぜ)という質問には答えられますね、しかし、なぜこの物体が落下しなければいけないのか(なぜ)には答えられません。続

2010-09-14 10:55:13
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku こういった質問に対してある種の考え方を提出するまたは、考えるための枠組みを我々に与えてくれるのが宗教の役割と考えます、物理のいうなぜはあくまでもどのような力が働いているかという意味のなぜ、でそのような力の存在理由を説明するためのなぜではないのです。続

2010-09-14 11:01:42
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku いいかえれば、科学は重力の性質を記述できるけど、なぜこの世に重力が存在するか?には答えられないのです、仮にM理論などが正しいとしても、これまた、ではなぜ初めの力が一つだったのかには科学は答えられないのです。 そういう、科学的価値観を超越したものであります。続

2010-09-14 11:06:08
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku 一方で、政治=決断ですね。あらゆるお金の分配の仕方を決める、法律を制定する、法の執行をするという全て決断のための作業なのです。その作業過程で各個人の決断の中から最も合理的と思われる決断を探る作業なのです。ここには当然各個人の思惑がありますね。続

2010-09-14 11:10:07
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku この決断という作業に必要なのは各政策の効果の分析やある理念を国民に合法的に強要させるためにどのような手段を用いるか(例えば景気浮揚のために減税するのか、インタゲやるのかということなど)を検討するという二つの必要性がありますよね。続

2010-09-14 11:13:10
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku つまり、政治は科学同様、科学のような厳密な体系はもちえないにせよ、何という理念を達成するための手段、それと、その効果の仕方、どのようにという科学と同様の質問に答えることが政治の役割いや政治ということになりますね。ならば宗教の答えられる質問ではないですよね。続

2010-09-14 11:16:27
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku 宗教の答えられる質問はなぜでした、どのように、や、何が、に答えられる物ではありません。一例をとりましょう、ヒンデイー教や仏教には輪廻転生という考え方がありますね、しかし、これらの宗教は輪廻の構成物質などの答えを良いしているでしょうか?答えは否です。続

2010-09-14 11:20:49
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku なに、どのように、という質問はなぜ、に答える宗教には向かないのです。いやむしろ答えることができないのです。したがって宗教と科学はその原理からいっても棲み分けが必要なのです。仮に宗教が政治や科学という客観世界に入り込んだとしたら、その瞬間に超越性を失います。続

2010-09-14 11:31:29
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku 宗教が超越性=客観世界からの自由、を失えば、それは宗教ではありません、なぜなら、科学が答えられない、なぜという質問に宗教が答えられた理由が超越性だからです。超越性により、因果律や客観世界の整合性をから独立に世界を構成する権利を与えれていたのですから。続

2010-09-14 11:37:34
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku つまり、宗教と政治や科学はその原理(なぜ、にこたえるのか、なにが、どどのようにこたえるのか)からいって「通約不可能」(これが正しい使い方です)なのです。ですから、宗教によって政治の価値を判断できない、また科学や政治も宗教のお価値判断できないということです。続

2010-09-14 11:40:38
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku つまり、もともと政治や宗教に価値判断ができない宗教がさらに超越性を失ったら何が残るんでしょうか?それはもはや宗教とは言えません。科学や政治が客観性を失ってもなぜには答えられないので、その存在性も灰塵に帰するでしょう。続

2010-09-14 11:45:00
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku つまり、政教は分離すべきではなくて、分離しなければお互いの存在性が保障されないということです。また認識の差という物が存在する条件は通約可能であるものとの間にのみ存在可能ですね、つまり認識の差を第三者的に判断する価値基準があるから「差」が生じるわけですね。続

2010-09-14 11:48:16
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku 具体例をあげれば、欧米人と日本人に対して鯨を殺すことに対して認識の差があります。なんでだと思いますか?それは欧米と日本の文化に通約可能性があるからです。欧米人だろうと、日本人だろうと快楽のために動物を殺すのは良くないというパラダイムを持っていますね。 続

2010-09-14 11:51:55
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku そして両者は共通のパラダイムをもとに別の演繹を始めます。つまり、欧米人は鯨の様々な属性のうち哺乳類であるということ強調し、犬や猫を殺すことなどとのアナロジーから鯨を殺すのは動物虐待と叫ぶのです。一方で日本人はというと、鯨の食料という属性を強調します。続

2010-09-14 11:56:43
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku そして、食糧という観点から考えれば、日本人の主張は、快楽のためではなく食料として捕っている、だから、食糧のために、鯨を殺すのと、食糧からのアナロジーで食糧のために牛を殺すのと何も変わらないじゃないか、動物虐待という批難は著しく不当であると主張しますね。続

2010-09-14 11:59:52
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku ではこの認識の差はどこで生まれたかというと、同一のパラダイムにおいて、鯨の属性を哺乳類とみるか、食料とみるかということです。仮にこのような共通のパラダイムがなければ認識の差は生まれません。なぜなら演繹元がなくなるわけですから。続

2010-09-14 12:03:00
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku いいかえるならば、ここに鰺があるとしましょう、料理人が二人います、一人は塩焼きを作るのが得意です、もう一人は開きが得なようです。ここで二人の料理人が一つの鰺の料理の仕方をめぐって対立しています、つまり料理の仕方に差があるわけです。続

2010-09-14 12:05:50
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku なぜこの対立=差の原因は一つの鰺を両者が存在を認識しているからですね。鰺が消えてしまえば対立も消えます仮にこの二人の料理人が想像的な鰺を想起したとしてお互いの想像的な鰺をめぐって意見が違うだけなので、「差」ではなく「違う」ことを考えていることになるのです。続

2010-09-14 12:13:00
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku 差というものが生まれるためのは両者が通約可能である前提が存在し、かつ演繹の仕方が異なるということです。この事実と先ほどの宗教と政治や科学には通約可能性がないということを合わせれば、宗教と政治に認識の差は存在しないゆえに質問がナンセンスということになります。続

2010-09-14 12:18:38
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku ないものを認められないし、また存在しないものの差を当然埋めることもできない、つまりこういう命題はそもそもナンセンスだし存在しないということです。「宗教と政治とは整合性の観点からどう認識の差を埋めていくかも問題」 終

2010-09-14 12:21:37
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku すいません、また例によって長いお返事になってしまいました。結論を要約すれば、Tshinsakuさんが問題だと思っていた命題が実はナンセンス命題だったということです、これは、私も聞いた瞬間にナンセンス命題と分かったわけではなく思考過程できずいたのです。続

2010-09-14 12:25:49
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku つまり、「クレタ人はうそつきだ」この命題は真か偽かといった命題と Tshinsakuさんが提供してくださった命題は全く同じ構造ということです、ナンセンス命題。私が今回難しいといった背景にはナンセンス命題の匂いを感じたからでしたが確証はありませんでした。続

2010-09-14 12:29:13
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku 一般に命題には論理的に答えられる命題、(ここでいう答えられるという意味は、理論的に答えられるという意味で答えが見つけられる可能性が0.1%でもあると言う意味です)と答えられない命題がありますナンセンス命題はその一つです。続

2010-09-14 12:32:36
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku これはヴィトゲンシュタインが「論考」において詳しく考察しております。それで、一般的な命題はたいてい答えることができますが、今回のように非常に特殊な命題も世の中には稀に存在しますギリシャのゼノンはナンセンス命題の名手でした、ゆえに誰も答えられませんでした。続

2010-09-14 12:35:26