素人の見方だな。 QT @Elis_ragiNa そういえば、先日 http://t.co/sF6Ttr8XZl で小熊先生が持参したVan Dyke Parks/Song Cycled聴いたけど、凄かったね。格が違うわって感じ。
2013-05-20 02:37:43『Song Cycled』でヴァン・ダイク・パークスはようやく、あのステージに達したんだよ。
2013-05-20 02:42:25あるいは、『Song Cycle』の夢幻を、四十数年を費やして、ようやく自分のものとして取り戻したのだ。
2013-05-20 02:47:37ソロとしての前作は1989年の『東京ローズ』。その時にヴァン・ダイクにインタヴューして、ずっと心に残っている一言がある。「60歳過ぎる頃までには、ちゃんとしたオーケストラ・スコアを書けるようにしたい」とヴァン・ダイクは言った。もちろん、僕はびっくりした。
2013-05-20 02:56:14ヴァン・ダイク・パークスほどの人が、60歳過ぎるまで勉強を続けて、オーケストラ・スコアを書けるようにする、と言ったのだ。え? 書けるじゃないですか? 『ソング・サイクル』は何だったの? でも、ヴァン・ダイク本人ははっきりそう言った。
2013-05-20 03:01:58しかし、家に帰ってから、気がついた。そうか、1984年の『ジャンプ』のオーケストレーションをヴァン・ダイクは自分で書いていなかったことを。『ジャンプ』のオーケストレーションのアレンジャー/コンダクターは、レニー・ニーハウスだ。
2013-05-20 03:05:53スタン・ケントン楽団出身で、多くの映画音楽を手掛けた(特にクリント・イーストウッド作品には欠かせなかった)レニー・ニーハウスのようなオーケストラ・アレンジャーと比べると、まだまだプロフェッショナル度が足りない、とヴァン・ダイクを自身を評価していたのかもしれない。
2013-05-20 03:13:10あるいは、ロックやポップスの世界でいえば、ニック・デカロのようなスーパーなアレンジャーは、音楽的にはヴァン・ダイクと近しいイメージがあるかもしれないが、その仕事量、あるいはヒット・レコードの数は桁違いだった。
2013-05-20 03:17:231968年の『ソング・サイクル』は、一つには時代が産み落とした、もう一つにはデビュー・アルバムの奇跡が作用した、ヴァン・ダイク本人にとっても、どうやって作ったか、分らないような、夢幻(ゆめまぼろし)の音絵巻だったのではないだろうか。
2013-05-20 03:26:08だから、その拡大再生産は出来なかった。技量の不足をヴァン・ダイク自身も知っていた。オーケストレーションをふんだんに使った『ジャンプ』で、自身は歌とピアノに専念し、レニー・ニーハウスにアレンジ/コンダクトを任せたのも、「60歳過ぎたら」の発言も、そう考えると頷ける。
2013-05-20 03:31:54ヴァン・ダイクの口からその言葉を聞いた時、僕は33歳だった。ヴァン・ダイク・パークスほどの人でも、まだまだ勉強を続けるのが音楽の世界なのだと知ったのは、その後の人生にかなりの影響を及ぼした。僕にはたくさんの時間が残されている。何でも勉強できるはずだ。
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