「万葉流転」を読みながら
- k_h_musume
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仏教が中国に伝わった時代(前漢~後漢)に官学であり、政治道徳の基準でもあったのは儒教であり、道家思想だった。仏典が漢訳された時点で理解しやすさを考慮されて、漢訳仏典には儒教・道教の言葉や思想が影響した。
2013-06-16 00:24:06儒学思想は人間中心のものであり、仏典の人間を含めて神々から鳥獣までを行為主体とする思想との差異や、抱擁や接吻などの表現の秘匿が是正されるには長い時間を要したが、唐代に入ってからは原典に忠実な翻訳になっている。
2013-06-16 00:24:35カースト制を超越し平等を説く仏典の原初の教えは、大陸を経て国家護持の信仰へと姿を変え、その漢訳仏典が朝鮮半島経由で日本へと伝来した。
2013-06-16 00:25:06この章では仏教の発生から伝播、仏教と共に流入した建築や造像美術などの国内での技巧の変遷などはもちろん、仏教がどのように政治に取り入れられていったかが述べられています。
2013-06-16 00:25:42ことに官営の写経所での布施(報酬)についての具体的な考察はとても面白かったです。他にも僧侶の扱いについてや、この時代の生死感などについても触れられています。
2013-06-16 00:26:14深夜を選んで、万葉流転を読みながら興味を引かれたことのメモ+感想をちょっとづつ。これで最後の連続ポストです。かなり長くなると思います。煩かったらリムーブしてください。
2013-07-12 00:54:47地方行政の実際について。令制国内での仏教行事の普及政策の実例とも言えますが、大伴家持の越中国守赴任中の出来事を、万葉集に見られる歌の贈答と詞書きを時系列で追いながら、執務の実際が補足されていて、この章は特に面白かったです。
2013-07-12 00:55:49ユーラシア全土を鳥瞰しての交易や教えを求める僧侶たちの旅したルートについて。 東シナ海を往来した遣唐使の働きによって、招来された僧侶や、持ち帰られた珍しい品物はあげればきりがありませんが、関根先生はここでは唐以西の国々の交易と交流について章の多くを割いておいでです。
2013-07-12 00:56:30中でもことに名高い法顕、玄奘、義浄の辿ったルートと書き記された旅の記録から、通過国の特色、風俗、正倉院宝物にもみられる各国々の特産物などから、当時のユーラシアと東南アジアを論じられています。
2013-07-12 00:58:25孝謙・称徳帝の即位後、しばらくして聖武太上帝は崩御。その後、光明皇太后が聖武太上帝の遺愛の品を東大寺に献納したことは有名です。
2013-07-12 00:59:51皇太后自身が健康を害してから、皇太后はいくつかの品を献納物から除物していますが、この徐物に藤原仲麻呂が関わっていないところに、関根先生は皇太后と仲麻呂との信頼関係の変化がうかがえると述べられています。
2013-07-12 01:00:44…東大寺献物帳には藤原仲麻呂の署名がありますが、この徐物を記した出納帳には仲麻呂の署名はないのですよね。一昨年偶然出納帳の署名部分をTVでじっくり観れた機会があって、思わず「大師の署名無い!」と心のうちで叫んだ記憶があります。
2013-07-12 01:01:33不改常典の終わりと題された最後の章では、孝謙・称徳の晩年の政変の概要が語られています。 孝謙・称徳の崩御で天武系の正嫡が消失して、天智系の光仁帝の御代が訪れるところでこの論考は幕を下ろします。
2013-07-12 01:03:15ここに、天武系直系の皇位継承の象徴、赤漆文欟木厨子を継承する者はおわしませず、光仁帝以降、即位の詔から「改めざる常の典」という表現は現れなくなります。
2013-07-12 01:03:53この後も長岡遷都まで都は平城京であり、一般的には平安遷都までが「奈良時代」という括りですが、関根先生は系譜の交代を持って一つの区切りと捉えられたのかと感じました。
2013-07-12 01:04:22蛇足は承知でちょっと強調させて下さい。最近、この系譜交代を象徴的に捉えたり、現代の女性宮家や継承議論に持ち出したりする論を見かけるように思いますが、私自身は、この系譜交代を現代から見た時象徴的に見えるだけで、実際にはなるべくしてなっただけの事だと考えています。
2013-07-12 01:05:34「万葉流転」は、奈良時代をより身近に感じられるご本でした。 軌道に乗り始めた律令制度を運用しながら、運用したからこそ明らかになる問題点や、新たに発生する困難に対して改正を重ねていった奈良時代。
2013-07-12 01:06:30華やかな仏教文化や建造物、多大な被害が出た地震や疫病はよく知られるところですが、その影に、律令を遂行する側の改正の苦労や、公民側の変化への不安や期待や戸惑いがあっただろうと思うと、1300年前の人たちがとても身近に感じます。
2013-07-12 01:07:18平城宮跡の発掘調査が始まって約50年。このご本が刊行されて約30年。日々たゆまず調査に携わる方々への敬意とともに、新たな研究成果に基づいた奈良時代考を楽しみにお待ちします。
2013-07-12 01:13:49