「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」論考まとめ

ご本人方からご許可をいただけましたのでまとめておきます 橡の花(@totinohana )さんとルロアさん(@ruroa2)さん の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の作品語りです。 カヲルをメインに眺めた場合の物語をメインにした場合の考察が興味深いです。
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橡の花 @totinohana

…「君の親愛を裏切り、君に殺人を犯させ、君に世界を再生することでしか汚辱を拭えない生の呪いを(遂に)かけてしまった僕だから、盾となって、今こそ君に世界を救わせてやりたい」―それがもうひとりの「君」である彼の父によって頓挫させられる―この遣り取りを、(続

2013-05-28 15:25:25
橡の花 @totinohana

続)互いに足を引き合うことになるだろう自滅と世界の破滅を繰り返す「罪」のゲームとして、「ガキ(餓鬼)」のやることだといえば、なかなか反論は難しい。本当に世界が危機に瀕しているとしても、英雄たちが思い詰める物語は破綻するから、万人の問題として開放しなければならないというならそうだ。

2013-05-28 15:25:54
橡の花 @totinohana

…あるいはその結果なら、満足して死んでゆけるというなら、周回分記憶されるかぎりいつまでも不幸になるばかりだった私たちの物語よりはずっとマシだろうというなら、そうかもしれない。だが、「死なせてはならないものを死なせた」という記憶、あるいはその決断は、不可侵の領域として残る。

2013-05-28 15:27:58
橡の花 @totinohana

…ミサトはD.S.Sを一度は発動させなかったが、あのとき、はたしてそれがカヲルの首に巻かれていると知ってやったのだろうか? おそらくはそうだ―それができるのは、所詮カヲルを知らないが故であり、そこに「救済」の物語を胚胎する不可侵の領域は生まれない。

2013-05-28 15:28:50
橡の花 @totinohana

…誰しも抱えているのだとしてもやはり不可侵であるその領域を、理念的に克服することはできない(それならば物語に「奇跡」の仕掛けは必要ない)―渚カヲルの筋書きは自らの「贖罪」とともに、そのために「再生の物語」を用意しようとした。それはたしかに、予測されるとおり同じ罪人が阻んだ―(続

2013-05-28 15:29:33
橡の花 @totinohana

続)―だが、「罪そのものが存在しなかったのだ」というのでもなければ、その心境を批判することはできない(カヲルはそれをシンジに説き続けたが、皮肉にも、シンジは彼を殺したことを憶えていなかった)―ならば、全てを記憶する女である可能性を持つアスカは、それを言うことができるだろうか?

2013-05-28 15:30:25
橡の花 @totinohana

例えば荒野で「綾波」を見つけることができたなら、物語から「罪」の影を消すことができるかもしれないが、さて。「旧劇場版」において、それを求める観客も含めてあらゆる人物に「贖罪」の機会が与えられたが、物語による同期的な回復を期待された主人公へ「贖罪」を求めることそのものが不当だった。

2013-05-28 15:41:17
橡の花 @totinohana

その文脈のうえに「破」の復活が置かれる。だからある意味もうそれで十分なのだが、それは視聴者の意識上に起きる出来事で、人物の意識上に立ち上がることではない。「いまここに機会を得られているということ」を本当に見つめることにはならない。ある意味でアスカとカヲルの相違は、ひとつの幸運だけ

2013-05-28 15:50:02
橡の花 @totinohana

すなわち、シンジへ「罪」を負っていないということ(これも「Q」の開始時点に過ぎなくなってしまったが

2013-05-28 15:51:58
江柿野るろあ @ruroa2

「あたしは古くならないことが新しいことだと思うのよ。ほんとに新しいことはいつまでたっても古くならないことだと思うのよ」と田中絹代に言わせる小津安二郎と、「何も変えてはならない、すべてが変わるために」と書くブレッソンのあいだに打ち立てられる精神の血縁性にグッときてる…!

2013-05-28 19:57:54
江柿野るろあ @ruroa2

「ヱヴァQ」という、きわめて高度な技術が制御・計画・管理された物語(内容においても形式においても)にあっては、カヲルの分身でもあり、カヲルの亡霊を宿しているかのようなウォークマンという「古い技術」・「音楽の再生あるいは記憶のメディア」こそが、外部への突破口になるのかな、とも思う。

2013-05-28 20:17:03
江柿野るろあ @ruroa2

「ヱヴァQ」を見ていると、これは「同期(シンクロ二ティ)をとる」ことの成功と失敗の物語だなとも思う。つまり、この物語はタイミングが合う・合わない・ずれるという無数の出来事の周囲に、網目状に組織されているように見えるし、同期あるいはタイミングは、セル構造アニメの本質でもあるから。

2013-05-28 20:25:27
江柿野るろあ @ruroa2

「ヱヴァQ」において「同期性(シンクロ二ティ)」という主題が見えてくると、さらに今度は「周期性(反復)」という主題も見えてくる。たとえば、シンジが「同期」をとろうとすると(これが物語の本筋でもある)、きまって「周期性」を担うキャラや出来事によって妨害、あるいは失敗させられるから。

2013-05-28 20:33:51
江柿野るろあ @ruroa2

作画にかぎらないと考えているのだけれど、アニメの制作プロセスにあって基本的な単位となるのは、まず与えられた仮想的な平面あるいは平面的な作業スペースというものがあって、そういった所与の平面をあらゆる手段で壊すことによって、まったく別の平面を取り出してくるという営為だと思う。

2013-05-28 20:49:31
江柿野るろあ @ruroa2

言葉は人それぞれだけど、たとえば作画する人は平面の上に線を描いて動かしているんじゃなくて、線を描いて動かすことによって複数の平面をつくり出している。そのような成果物というか素材は、技芸的なものであると同時に驚くほどあやうく、亡霊的で、不気味なものに感じられることもある。

2013-05-28 20:58:52
橡の花 @totinohana

…たぶんミサトさんは「不可侵領域」のこと、重々分かってて、チョーカー発動を悩んだんだが、いっそ死んだ方が救われるだろうとは流石に思えなかったんだよなぁ。アスカは自分も“力”を得ていることを暗示して、抱えるなという―けど、共にレイの魂を取り戻すのでもなければ“そこ”に接することは…

2013-05-29 03:09:20
橡の花 @totinohana

勿論そこへの拘泥すが構造的な罠なのだから、振り切るしかないのだが、例えば東さんが感想で述べた段階、アスカとシンジがレイを育てる―アスカにも「破」の奇跡が可能と彼に示す―そのまえに、“彼ら”自身の手で「救済」を諦めさせねばならなかったんだよな。そしてカヲル君は終わりを引き受けた…。

2013-05-29 03:34:37
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