RT @kishiidaisuke: つぶやくことがないので、(じゃあ、つぶやくなよって話か) 岸井の演劇の形式化、ここで書ききろうと決心。あ、中央線三鷹なう
2010-02-02 15:51:11!岸井さん!まってました。RT @kotaromiyake RT @kishiidaisuke: つぶやくことがないので、(じゃあ、つぶやくなよって話か) 岸井の演劇の形式化、ここで書ききろうと決心。あ、中央線三鷹なう
2010-02-02 16:06:411-1 複数の人間に対し、人間は価値判断をする。すなわち、面白い演劇、美しい演劇、大事な演劇、退屈な演劇、これは演劇になっていない、などと感じる。
2010-02-02 16:09:48演劇の形式化 2特殊解 ある人間集団の構成員が自分の活動について納得しており、かつ、自分以外の構成員の活動についても納得しているとき、その集団は美しい演劇である。
2010-02-02 16:10:572-1 人間は、自分が始めた活動について、活動している間は納得をしている。納得できないのならば、それは自分で始めた活動ではないからである。
2010-02-02 16:13:252-2 人間は、何かをきっかけにして始める。ただし、それがきっかけといえるのは、始ったことときっかけが、少なくとも始めた本人にとっては、切れていると感じられるときだけだ。このようなことは奇跡であるが、また、人間においてこのような奇跡はしばしばおきる。
2010-02-02 16:16:472-2-1 よい演技とは、今始った活動である。よって、再演を前提とするような演劇作品においては、同じ行為を毎回、今始めることができる人間がよい俳優であり、そのための技術が演技術とされる。
2010-02-02 16:22:04あーあ、書ききってしまった(笑) ここまでくるのに15年なんだけど書いたら一瞬だ。演劇の形式化 3一般解のためには演出の定義とか、人間集団から始める方法が整理されればよいという考えでこれから。しかし、この形式化に始りという言葉を使えばいいと気がついたのは今年になってから。実は。
2010-02-02 17:09:43現在までの、岸井による演劇の形式化をツイッターでしばらくつぶやき続けます(笑)ロビー本書いていたら、少し進んだのです。少しだけどね。
2010-02-03 02:06:30以上が15年の成果。その先に進むには、演出について、もしくは、複数の人間の取り扱い方について、探求をすればよいと今は考え、実践中です。
2010-02-03 02:13:35フォロワーが20人増えるごとに、現在のところの、岸井による演劇の形式化をツイッターつぶやくよ。ロビー本書いていたら、少し進んだのです。少しだけどね。9項目です。
2010-02-03 16:30:51以上です。「2」では、特殊な演劇の創作形式を扱っていますが、「3」では一般演劇の形式化を目指します。そのために、演出もしくは人間集団の取り扱い方の体系を整理できれば進むはずという仮説で活動しています。生きている間にたどりつきたいなあ。
2010-02-03 16:40:32「2」は特殊な人間集団について扱っているということか? @kishiidaisuke 「2」では、特殊な演劇の創作形式を扱っていますが、「3」では一般演劇の形式化を目指します。そのために、演出もしくは人間集団の取り扱い方の体系を整理できれば進むはず
2010-02-03 16:47:20相対性理論みたいだねー。 @kishiidaisuke @kotegawaN 「2」は、構成員全員が自分と自分以外の人にOKだ、という人間集団を扱っているということ。
2010-02-03 17:29:48@kotegawaN 相対性理論からとっているからねー「重力など以外は成立する」という話ですkotegawaN 相対性理論みたいだねー。
2010-02-03 17:55:03フォロワーが40人増えるごとに、現在のところの、岸井による演劇の形式化をツイッターつぶやくよ。ロビー本書いていたら、少し進んだのです。少しだけどね。9項目です。
2010-02-04 18:59:451 演劇とは複数の人間である。 1-1 複数の人間に対し、人間は価値判断をする。すなわち、面白い演劇、美しい演劇、退屈な演劇、これは演劇になっていない、などと感じる。
2010-02-07 09:26:182 ある人間集団の構成員が自分の活動について納得しており、かつ、自分以外の構成員の活動についても納得しているとき、その集団は美しい演劇である。 2-1 人間は、自分が始めた活動について、活動している間は納得をしている。納得していないのならば、それはその人が始めた活動ではない。
2010-02-07 09:27:242-2 人間は、何かをきっかけにして始める。ただし、それがきっかけといえるのは、始ったことときっかけが、少なくとも始めた本人にとっては、飛躍があると感じられるときだけだ。このようなことは奇跡であるが、また、人間においてこのような奇跡はしばしばおきる。
2010-02-07 09:28:01