名賀月氏との間で繰り擴げた乙武氏・弱者問題についての論爭
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私はさうは思ひません。まあ、推進してゐる連中がアレだといふのには頷かざるをえない部分はありますけども。 QT @fushimitori107: 男女參畫は正の面に見えるだけ。@acy 「障礙者福祉の/男女共同參劃の正の面を見よと言つたら、
2013-05-27 00:32:47@fushimitori107 そこの部分は、名賀月のは夢想だ、つて言ひでも結構だと申し上げたことと關聯します。僕としては制度上の問題だけでかういふ問題が解決する、制度だけ弄つて解決させたら良いと思つてゐない。
2013-05-27 00:35:51@fushimitori107 僕が大原則だと申し上げたのは、多分に理想論的であり、大雜把であり、細部での調整が必要であり、現實には個々の事情を勘案する必要がある、と認めてのことで、それでも大原則は大原則として、理想として、掲げておくべきだと信ずるからです。
2013-05-27 00:37:34@fushimitori107 僕も其處ら邊の、言葉の言ひ換へには懷疑的です。障礙者と言ふ言葉を片端、不具に換へてつくつたことにすら懷疑的です。
2013-05-27 00:38:53@fushimitori107 男女共同參劃については、おでんさんは、男女關係とかの絡んだ辛い經驗をされたから忸怩たる思ひがあるのでせう。それは同人誌に書かれたものからお察しします。ただ、僕の見方では、あれは制度の問題の露呈ではなく、おでんさんの周りの人間關係に主因があると思ふ。
2013-05-27 00:42:21@fushimitori107 あの「誰でもトイレ」つて、健常者でも一時的に難儀な状況なら使へるやうに、とか、そんなんでせう。例へば足を骨折しました、とか。逆に、障礙者でも一律にああいふトイレが必要とも限らない。誰でも、つてのは惡くないと思ひます。
2013-05-27 00:49:35@fushimitori107 ただ、「誰でもトイレ」でないと用を足すのが難しい障礙者が、不要不急で利用してゐる健常者の所爲で使へない、とかいふことになると、それはちょっと困る。なので貼り紙とかするんでせう。其處ら邊は色々試行錯誤してより良い遣り方を模索するしかないと思ひます。
2013-05-27 00:51:20@fushimitori107 僕も、大原則は「成る可く誰でも」と言ひましたし、その思ひを變へるつもりは今のところありませんけれども、現實としては漸進的に、試行錯誤しながら、環境を整へていくしかないと思つてゐます。そこの細かい説明がなかったのは怪しからんと言ふなら其れは認める。
2013-05-27 00:54:09@fushimitori107 とかげ本のときの質疑でも書いた通り、僕は基本的に男女の區別をつけなくて濟む分野では區別しなくて良いと思つてゐます。障礙者の問題についても根本は同じです。二つの問題が全く別々の問題だとは思つてゐないのです。氣に入らないと言はれるかも知れませんが。
2013-05-27 00:57:28@fushimitori107 ここ數日のやりとりで、行き違ひとか言葉足らずとか論點整理が出來てゐなくてしっちゃかめっちゃかになつてゐたのに加へて、特に昨日今日あたりは感情的に暴言チックな言葉を吐いたかも知れない點、そこは反省せねばと思つてゐます。
2013-05-27 01:06:53@fushimitori107 現實がかうだから、理想なんか後回し、信ずる正義なんか後回し、つて考へは、僕は採用できません。特に原則論に於いては。實際に實行する過程に移行する段階で現實との摺り合はせをすれば良いのです。そこを無視して原則論を述べたらPCだと言はれればカチンとくる。
2013-05-27 01:22:24@acy でその大原則を國家が目標として定める事について名賀月さんはどうお考へですか? 私は望ましくないと考へてゐますが。
2013-05-27 21:57:22なら、大原則を政治的に正しいものとして、權力的に制度的に「今まで取り込めてゐなかつた人たちを取り込む」べしと云ふ事を決めよと云ふことで、私は反對です。これ以上のPCはない樣に思ふからです。@acy 國の政策目標になるのであれば、それを掲げておかないと變ぢやないですか?
2013-05-27 22:21:54@fushimitori107 原則なり目標なりを國が掲げたら、それが即ち「政治的に正しい」のかどうか、そこが問題の一。もう一つは、ぢやあ、他の分野、例へば國防なんかで中期計劃とか目標決めて立てる訣ですけど、さういふのもまづいと?
2013-05-27 22:29:34@fushimitori107 國家が何かやるときに、どういふ意圖でやるのか、それを明らかにしない方が、明らかにするときよりも餘程危險だと思ひますよ。獨裁國家なら知らしむべからず依らしむべし、で良いんでせうけど、民主國家なら、國民は國の方針の大雜把なところは知つておくべきです。
2013-05-27 22:31:52@fushimitori107 で、一遍大方針、大原則を決めたから、それに盲從せよ、といふのではやはりまづい訣で、個別の政策になつて實施されるときに、その個別の施策が良い、惡い、つてのは改めて判定されるべきです。そして、必要があれば、一遍決めた大原則も見直せば良い。
2013-05-27 22:33:45@fushimitori107 やばいのは、一度決めたからこれが正しいのだ、と決めてかかることです。「かくあるべし」と決めること其れ自體まで禁止したのでは、國なんか動きませんよ。
2013-05-27 22:35:02@fushimitori107 現代仮名遣にしたって、それを定めたことよりも、定めた後にずっとそれに盲從してゐることが問題なのです。まづいと考へたなら見直せばよい。撤回すれば良い。破棄すれば良い。
2013-05-27 22:36:58@acy 一、國が法的な力をもつて國民の言葉や行ひを差配すべきでない領域のものだから。自生的な價値觀に委ねればいい。二、國の存在理由の第一義的な處では、目標を立てるのは自然。私の考へです。
2013-05-27 22:51:27@fushimitori107 完全に個人間のことなら仰せの通り個人に委ねれば良いんですけど、例へば公共交通とか公共的施設とかの整備なんかは、公として個人をどう扱ふのか、その方針が必要になりますよ。
2013-05-27 22:55:15@acy 大雑把な話をしたいと云ふので話した大雑把な私の望ましい國の在り方です。代替策は商賣なりにしようとする人が出て來るだらう。打鍵に難があるので以上。
2013-05-27 23:10:23@fushimitori107 お考へは承りました。個人間のことはさういふ考へで良いと思ひます。ただ、個人間、私人の間だけで解決できないことが出來するから國なりが社會福祉を政策制度としてやる訣で、其の時には何らかの原則、目標、目的を立てねばなりません。
2013-05-28 01:47:03@fushimitori107 さういふ施策はすべきではないといふことでせうか。それとも、原則なしに適當にやれば良いといふことなのでせうか。
2013-05-28 01:49:04