『古き良き共同体』から『新しき良き共同体』

八重代かりすさんのつぶやき 『古き良き共同体』を守ることは難しいので『新しき良き共同体』を目指すべきということを、過去の社会構造の転換にそって説明しています。 『新しき良き共同体』とはどんな共同体かという話はこちらへ… http://togetter.com/li/421232 続きを読む
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八重代かりす@「形見の衣」発売中。 @yaesiro

 今更ながら、ライシュの『暴走する資本主義』を読み始め、ふと思う。PCやグローバル経済は、終身雇用や年功序列あるいは「古き良き共同体」を破壊する。この構造は鍬や鋤の普及が中世的秩序を破壊したのと同じだ。この破壊を防ごうとすれば、百姓から鍬や鋤の取り上げる必要がある。だが、可能か?

2013-06-03 22:48:05
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 当たり前だが、中世以前の日本には「古き良き共同体」があった。貴族や寺社の下で、皆が共同の農具を使い、共同の農地で働いていた。これを破壊したのは、当たり前だが、強欲な資本家でも、グローバリストの陰謀でもない。大衆の身勝手でも共助の精神の喪失でもない。鍬や鋤の普及である。

2013-06-03 22:48:36
八重代かりす@「形見の衣」発売中。 @yaesiro

 鍬や鋤は古代からあったが、貴重だった。金属――ましてや鉄の鍬や鋤は、高級品だった(農具を田畑に置いておくことは治安の良さの証で、今でもその名残はある)。だから、個人の私有物ではなく、公共物であり、貴族や寺社が管理していた。というよりも、農具の管理者が貴族や寺社になったと言える。

2013-06-03 22:49:09
八重代かりす@「形見の衣」発売中。 @yaesiro

 鉄器の農具が希少で、百姓は昼に使った鍬や鋤を夜には貴族や寺社に返さねばならない。そもそも、鍬や鋤の効率が悪い。だから、マンパワーの大量投入が不可欠で、規模の利益が大きい。となれば、『嫌でも』「古き良き共同体」が力を持つ。逆に、個人では農耕すること自体が困難だ。

2013-06-03 22:49:49
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(故に、宮城谷昌光作品などで、主人公が『山野に独居する』事で、その知性知識体力の卓越さを示し、神仙と見做される。あるいは貴重な金器を大量使用する《剣》が貴人の証となるのだろう。…纏めると面白いかと思ったら、ここ http://t.co/qcq7bO5y9S で、もうやられていた)

2013-06-03 22:50:23
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 ところが、鉄器の農具が普及すると、話が変わる。鍬や鋤を百姓が私有できるようになると農耕はおろか、開墾のハードルも著しく下がる。勿論それでもマン パワーは必須だが、かつてほどの規模の利益はない。極言すれば、個人で開墾する事も出来る。となると「古き良き共同体」は力を失う。

2013-06-03 22:52:38
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 貴族や寺社に頭を下げ、利害調整に時間を費やすよりも、さっさと自分(達)で開墾した方がいい。そう考える連中が出てくる。戦国時代から江戸時代前半の『新田』開発などにはそういう側面がある。宣伝すると、拙作『善左衛門 http://t.co/RAQl9eZrYR 』などもその一種だ。

2013-06-03 22:53:31
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 司馬遼太郎は『箱根の坂』でそういった変化に対し、「鍬や鋤を取り上げるのは無理だし、そも『古き良き共同体』そのものに問題があったのだから、『新しき良き共同体』を志向すべき」という旨を主人公に語らせた。さて、今回の変化においては……日本人が悪い意味で貴族化している事が気になる……。

2013-06-03 22:54:02