泳ぎを教えるときの「溺れる」という状態みたいに、ワーストケースというのはたいてい、教えられるべき何かがきちんと伝えられなかった結果として発生するから、まずは「溺れかた」から教えることで、結局それが、総論から各論への流れを作れる
2010-09-18 10:48:40失敗学の言葉で「偽のプロ」と「本物のプロ」というのがあった。正しいやりかたしか知らない、状況が悪くなったときの切り抜けかたを知らない人も、しばしばプロを名乗るから、そういうの見抜かないと危ないなんて話題
2010-09-18 10:49:35泳ぎだとさすがにいないけれど、たとえば「泳げるけれど溺れられない」泳ぎのプロがいたとして、そういう人に習うのと、溺れる経験から出発して、泳法にたどり着いた人とでは、教えかたの順序が全く異なってくる
2010-09-18 10:50:34そういう「偽のプロ」と「本物のプロ」との見分け方として、習う側からみれば、それは「泳ぎかた」から教える人と、「溺れかた」から教える人との対比として観測できる
2010-09-18 10:51:17逆にいうと、教える側からみて、自分は果たして溺れかたを教えられるのかどうか、溺れたことはないにしても、溺れた自分を想像して、それを切り抜けるための備えが自らにできているのかどうか、自問するのが大事なんだと思う
2010-09-18 10:52:09本当はたぶん、泳ぎかたが正しく履行されなかった結果として、溺れるという状態がある、ということを説明してから、まずは正しい溺れかた、助けの求め方を教えて、ようやくそこから、そうならないための、正しい泳ぎかたを教えるべきなのだろうと思う
2010-09-18 10:53:21総論というものは、恐らくしばしば誤解されている。それは単なる全体でなくて、各論が正しく行われなかった結果として、問題が大きくなってしまった状況であって、「各論の不履行」が行き着いた、大炎上の状態が、そもそもの各論なのだと思う。遠くから見た単なる風景でなしに
2010-09-18 10:54:49@medtoolz スキーのインストラクターなのに、倒れ方を教えずに「こうすれば上手くなる」だけを説明する、みたいな感じ。 *フィクションです
2010-09-18 10:55:30カタストロフを物語って、そうならないための各論を、問題のスケールをだんだんと小さくしながら伝達していくのがきっと正しいのだろうけれど、そういうのどうやればいいんだろう
2010-09-18 10:56:03@Dominion525 柔道の授業とラグビーの授業、スキーを習ったときは、受け身とか転びかた、ぶつかりかたから習いましたね。。「溺れかた」を習った記憶がないのが不思議
2010-09-18 11:00:14