マティアス・グリューネヴァルト『イーゼンハイム祭壇画』があなたの健康をお祈りします。
というわけでイーゼンハイム談義はこの辺で。まぁだいたい「聖アントニウスの火」患者がキリストの受難と自らを重ね合わせ、信仰を持ちつつ病と闘うよう、幸運のお守りいっぱい描かれた祭壇画だと理解しました。
2010-09-18 15:13:25@davidsbundler @momokanazawa 聖アントニウスの火(≒麦角中毒)がアルザスの風土病かどうか、という議論があるのは、私も知りませんでした。興味があるので、宜しければ「小学館の全集」というのの書誌をお教え願えませんか?
2010-09-21 01:11:57@davidsbundler @momokanazawa 手元の概説書 http://www.amazon.co.jp/dp/3534154819/ では、全ヨーロッパ的なものとされてますが、挙げられている事例はフランスが多いですね。著者の専門による偏向かも知れませんけれど。
2010-09-21 01:23:24聖アントニウスの火を風土病と表記する背景として想像できるのは、1)人から人に伝染するものではないので「疫病ではない」ことの強調、もしくは、2)イーゼンハイムやメミンゲンなど、アントニウス会の活動がアルザスや南西ドイツで盛んだったことからくるある種の誤解。ただし、あくまで想像。
2010-09-21 01:29:58ちなみに、先に挙げた概説書には、当該祭壇画には、4カテゴリ14種の薬草が描かれているとある(ただし具体名はなし)。うち3カテゴリは、治療用の薬草酒の製造に、残り1カテゴリは四肢切断の際の血止めに用いられるものとのこと。
2010-09-21 02:20:29聖アントニウスの火という呼称は、聖アントニウスの聖遺物が西欧圏に移送された11世紀後半以降。それまでは単にignis sacer。アントニウス会自身は、地獄の火と呼んでたらしい。ダッシュウッドとは関係ない。
2010-09-21 02:43:43@narrenstein すみません。私の記憶違いでした!「とくにフランスで猖獗をきわめた」と書いてあってアルザスとはありません。アントニウスの火から恢復した騎士が建てた「小学館の全集」=「世界ビジュツ大全集第14巻 北方ルネサンス」小学館,1995年の図版説明141−5です。
2010-09-21 07:34:20@davidsbundler @narrenstein ちなみにその巻をみていたら、ポルティナーリ祭壇画が1482年ないし83年にフィレンツェに到着と書かれているのを発見。
2010-09-21 07:36:31