SLAの学生が、大変いいことを言ってくれた。研究レポートは、国語で習う説明文ではない、と。どこが違うかというと、研究レポートは、自分で問いを立て、自分で答えを出し、その答えを支える「事実」を並べる。説明文も、「事実」を並べるのだが、それは何かを解説するためのイラストに過ぎない。
2013-06-11 12:06:16研究レポートでは、自分の答えを支える「事実」を並べるだけでなく、自分の答えを脅かす「事実」も並べ、それらが指し示す別の答えの可能性も検討する。そのうえで、自分の答えの確からしさを自分で評価する。これが考察である。国語で出てくる説明文では、この考察が省かれることが多い。
2013-06-11 12:08:19国語の説明文の教育は、誰かが言っていることを、「事実」によるイラストを加えながら解説することによって、その人が言いたいことは何なのかを「正しく」理解することを目指すもののようだ。研究レポートは、そうではなく、自分の答えの確からしさを、「事実」に照らして、自分で検証するもの。
2013-06-11 12:10:31誰かの主張(他人が立てた問題に対する他人の答え)を引用して、その主張がどういうものかを解説するために、見つけてきた「事実」を並べるのでは、単なる説明文になってしまい、研究レポートにはならない。
2013-06-11 12:12:40研究レポートにするには、ある対象について、それは何か? そうなる原因は何か? それを解決するにはどうすればいいか? などの問いを立て、これは××だ、こうなる原因は××だ、これを解決するには××すべきだ、などと自分で答えをだし、その根拠となる「事実」を探して並べなければいけない。
2013-06-11 12:16:00中学校の国語の教科書でも、研究報告が説明文の例に用いられることはあるが、「A、B、CからXという結論を出した」という部分のみを読ませて、著者がXと主張するのはなぜですか?みたいな読ませ方をしている。これでは、文章の中からA、B、Cに当たる部分を見つけておしまいになってしまう。
2013-06-11 12:22:16「A、B、CだからXという結論を出した」という文章を読んだら、しなければいけないことは、A、B、Cは本当か? 証拠として十分か? と問い、その答えを、読んだ文章の「外」に探さなければならない。別の人は、「P、Q、RだからXではない」と主張しているかもしれないではないか。
2013-06-11 12:24:23そうなったら「A、B、C」の確からしさと「P、Q、R」の確からしさを自分で検証し、XかXでないか自分で判断しなければならない。そのためには「A、B、C、P、Q、R」以外の沢山の「事実」を自分で探し、どちらの結論を支える証拠が多いか自分で見極めなければいけない。それが研究だ。
2013-06-11 12:28:28