モーサイダー!~Motorcycle Diary~Episode of Spring XI~
- IngaSakimori
- 1988
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「夜とはいえ、お暇をいただくのはなかなか骨でして」 「執事なんて時代錯誤な商売してるからさ。 バイク屋は水曜なら堂々休めるから……な。気楽なもんだぜ。ほいよ」 「ああ、これはどうも」 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:47:09亞璃須の前では決して見せないであろう、年齢なりの『おっさん』らしい格好をした吉脇(よしわき)に、ビールの瓶をさしだしたのは祇園田宗義(ぎおんだ むねよし)だった。 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:48:17ほどよく、くたびれたポロシャツに1000円も出せば手に入りそうなチノパン。 ほころびが目立つ靴も、安っぽい腕時計も、亞璃須が知らない彼の私物だった。 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:48:21祇園田も祇園田で、安っぽい上下のジャージは深夜にコンビニへ買い出しにでた中年男性が、迷い込んできたと称しても通用しそうなほどだった。 ━━もっとも、台風が近づいている大雨の夜という点も考慮すべき服装ではあるが。 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:48:34「で、本日の主役は」 「ああ、もう来るはずなんだがな。何しろこの天気だ……電車が立ち往生していたりしなきゃいいが」 心配そうに祇園田が入口の方をふりむいたそのときだった。 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:49:14「おっと、噂をすれば」 「……どうも。ご無沙汰しています」 カジュアルなモスグリーンのスーツ。そこかしこを雨のしずくで濡らしたまま一礼した男のその顔を。 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:49:37吉脇は知っている。祇園田(ぎおんだ)も知っている。 そして、ここにいない三鳥栖志智も、知っているはずの顔だった。 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:50:06「久しいですね、我が盟友」 「よう! ははは、すっかり懐かしいなあ、おい」 「月日は過ぎてもお互い変わらないですね。 吉脇さん、祇園田さん。お久しぶりです」 そこに立っていたのは、大多磨周遊道路で志智に2stの弱点をアドバイスしたYZF-R1の男だった #mor_cy_dar
2013-06-25 10:50:41酒場の暗い照明のもとでは、その中性的な顔立ちがいっそう強調されて見える。 若々しい。すでにテーブルへついている吉脇と祇園田と異なって、その顔立ちは青年のそれだった。 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:51:11「老けたな、谷川」 しかし、祇園田は言う。第三者が見たら、首を捻るようなその言葉を。 「あの頃のあなたなら、女性といっても通じたかもしれませんが」 吉脇も言う。遠い過去の彼を知っているから。 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:51:22「僕も寄る年波には勝てませんよ」 「はっ、小垂水峠最速の『かっとび3MA(サンマ)』も年を取る……か」 「あの頃、あなたに憧れていた人たちは、そんな弱気なセリフを聞きたくないと思いますけどね」 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:51:36「昔は昔。今は今です。 人間もバイクも年をとるから、世代交代があり、進化があるわけですから」 ━━彼の名を谷川淳(たにがわ じゅん)という。 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:51:56(不思議なもんだ……) かつて、東京近郊のバイク乗りなら誰もがその名前を耳にした小垂水峠。 幾多の蛮勇と無謀が峠をかけぬけた時代。TZR250後方排気を駆り、最速の名を欲しいままにした伝説的な走り屋が、祇園田の前にすわっている。 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:52:15(確かに老けた。しかし『俺たち』に比べりゃ……) その瞳も、肌も、そして発するオーラも。 『あの頃』から驚くほど劣化していないではないか。 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:52:25「今でも……お前は走ってるんだよな」 「ええ、今でも。僕は走っています。 もっとも、昔みたいな無茶はできなくなりましたよ。立場もありますしね」 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:52:39「とぼけやがる」 「その割には、あの929は潰してしまったと聞きましたが……」 「吉脇さんには言ってませんでしたね。筑波のヘアピンでちょっと……ね」 「で、乗り換えたついでに、大多磨周遊道路最速の『深紫(ディープ・パープル)のYZF-R1』が生まれたわけだ」#mor_cy_dar
2013-06-25 10:52:58他人事のように語ってはいるものの、谷川の駆るYZF-R1を用意したのは祇園田の『ハング・オフ・モータース』である。 遡れば、かつて谷川が乗っていたマシンを探してきたのは、いつも祇園田だった。バイクショップを開く前からそうだったのだ。 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:53:14「最速だなんて、風が吹けば飛ぶような称号ですよ。 バイクブームの頃とは違います」 「あの頃、無数の挑戦者から守り通した名前を、今のあなたが守れないとは考えにくいですがね」 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:53:37「持ち上げないでください。 きっと吉脇さんのところのお嬢様━━日原院社長の娘さんでしたか。彼女のXRにはかないませんよ」 「はははっ! ないない! 周遊でSSの全開出せるやつが、エンデューロレーサーに負けるもんかって!」 「私も同意ですね」 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:53:52吉脇との関係はというと、谷川が峠の走り屋のみで終わることを惜しんだ日原院家の当主━━つまり、亞璃須の父親がレース活動のスポンサードをしたことに始まる。 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:54:17峠の走り屋出身でありながら、初レースをポールポジションで飾るという、信じがたいノービスクラスデビューにはじまって、国際級まで昇格した谷川のレーシングマシンを専門に整備していたのが、若き日の彼、吉脇秀護(よしわき しゅうご)であった。 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:55:58「ところで吉脇さん、祇園田さん。 日原院社長の娘さんといえば、面白い少年と付き合っていますね」 「ああ、志智のことか」 「面白い……確かに、我々のような生き残り組にとっては……そうですね。 今時、あんなに面白い少年はなかなかいないと思えますね」 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:56:27「僕もすこし話をしてみましたが、かなり見所があると思います。 どうです、もう彼をどこかのコースで走らせたりしたんですか?」 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:56:53「いえ、それが、亞璃須お嬢様から聞いたのですが━━」 吉脇は週末に志智のスパーダが4ミニの集団と、大多磨周遊道路の下りで勝負することを伝える。 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:56:58「あはははははははははっ! それはいいや!!」 谷川は笑った。この世のどろどろしたものを何も知らない少年のように。 あるいは、極上のチャンバーをつけた2stレーサーレプリカが、パワーバンドへ入った瞬間の排気音を響かせるときのように笑った。 #mor_cy_dar
2013-06-25 10:57:07