モーサイダー!~Motorcycle Diary~Episode of Spring IX~
- IngaSakimori
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(こりゃあ、そろそろ本格的に降ってきそうだな……) 9000rpmをさしたまま、ほとんど動くことのないタコメーターのパネルへ雨の斥候が一粒落ちてくる。 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:33:17首都高速湾岸線。サーバー用のハードディスクが入っているという小箱を、横浜にあるデータセンターまで届けた帰り道。 三鳥栖志智(みとす しち)の操るVT250スパーダはまとわりつくような六月の湿気を切り裂いて、高速巡航をつづけている。 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:33:35羽田空港のビルを左右に眺めつつ、今やほとんどその用をなしていない大井料金所をぬける。トラックの列を縫うように、左右へ車線変更をくりかえしていると、あっという間に東京港トンネルへ至る。 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:33:49その先に広がるのは、有明や台場といった歴史新しい世界。 電力節約のためにライトアップを取りやめているレインボーブリッジを、横風にあおられながら渡り終えると、東京タワーが暗闇にぼんやりとその輪郭を見せている。 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:34:12セパレートハンドルに巻き付けた100円ショップの腕時計。道路灯がその液晶を照らした瞬間、時刻を読みとる。 木曜日。いや、とうに日付が変わって金曜日の午前二時。 首都高都心環状線――C1に入ってしまえば、目的地の永田町まではすぐだった。 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:34:30「戻りました」 「おう、『さんとす』か。オツカレ」 志智がアルバイト先である『テラ・ロジスティクス』へ戻ると、彼の雇い主は机にかじりついたまま、声だけで出迎えた。 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:35:01女性である。その両目は眠気との戦いを主張するようにきつく細められているが、一度着替えたのか服装はまるで自宅にいるときのそれだった。 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:35:14「あーお前、横浜に出たんだっけ? 今夜はな、もうあがっていいぞ。遠いとこ、オツカレな。 おーそうそう、コーヒー飲むか? よし飲め。飲んどけ」 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:35:40返事も聞かずに彼女は缶コーヒーを放り投げた。マークIアイボールの視角がよほどいいのか、その視線は机の書類にむいたままだったが、真っ黒なブラックコーヒー缶は志智の手元へ正確な弾道で飛んでくる。 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:35:52「んだっと、ったくこれだから議員のセンセ方は……いきなりねじ込んできやがって……」 「あの、社長」 「誰が社長か、『さんとす』。あたしのことは頼子(よりこ)と呼べといったろう。あー、もう仕事はないぞ。帰っていいからな」 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:36:31「えっと、頼子さん。はい。とりあえずコーヒー、頂きます。あと、帰っていいのはもう聞きました」 「あー、おー、そうだったな。偉いぞ『さんとす』、よく言った」 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:37:15「くそっ……まんずはあ、かっつぐだぎゃな……とにかくだ、そういうことだから帰っていいぞ。とっとと帰って寝て、勉強しろ」 「……はい」 眠気まなこの三割頭で、彼女の言葉は前後がつながっていない。 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:37:32その名を藍田頼子(あいだ よりこ)と言う。 彼女は端的にいってしまえば、志智のアルバイト先の社長だった。 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:38:15東京における『政』の中心である永田町の一角にバイク便業者『テラ・ロジスティクス』の事務所を構える女社長であり、そして数年前に急逝した夫の跡を継いで未だ慣れぬ経営の道と格闘する、ひとりの苦労人である。 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:38:21(頼子さんがこんなに遅くまで働いてるのに、俺がさっさと帰るのはなんだか申し訳ないよな……) コーヒーを飲みほしてからも、なんとなく志智が居心地悪そうに立ちつくしていると、頼子はじろりと彼を見た。 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:38:35「こら、『さんとす』」 「なんですか頼子さん。それと俺は三鳥栖(みとす)ですけど」 「うるさい黙れ。読みようによっては、さんとすだ。だから『さんとす』でいいんだ。 あたしのダンナもな。好きだったぞ、『さんとす』。別にお前は似てないが、だから『さんとす』だ」#mor_cy_dar
2013-06-09 15:39:04「あー、そうかそうか。それじゃあ、あと半年近くだな。 そうなったら、タイムカードとかな。あのな。ちゃんとやってやるからな。うん。もうちょっと待てな。それと今月分の給与明細もったか? さっきそこに置いといたが」 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:39:34「明細は受け取りました。 あの頼子さんには……助かってます、すごく。本当は18にならないと、こんな時間に働けないって、俺、知ってるんで」 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:39:55「あー、まあそうだな。祇園田(ぎおんだ)さんとこの頼みだしな。 まあウチなら誰も文句は言わん。こんなときのために議員のセンセ方へ恩売ってるしな」 「ありがとうございます、本当に」 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:40:15「んー、わかったらさっさと帰れ。はよ帰れ。あたしはもう少ししたら寝る。 そういうことだからな。いいか、帰れよ。わかったな。 ……さしねちかしこと言うっきゃなあ……けっぱれ言うどものっつど銭ごぁいるど……」 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:40:36(いつも思うけど、どこの国の言葉なんだろうな……) がりがりと後頭部をかきむしりつつ書類へ向かう頼子の口からは、志智に解読できない言葉が流れだしてくる。 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:41:00せめて頼子の集中を邪魔しないようにと、なるべく足音を立てずに志智は事務所の外へ出た。 自転車置き場かと見まがうような屋根の下では、スパーダとならんで緑ナンバーのCB400SFがその身を休めている。 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:41:14ポケットから取り出した一枚の封筒。 おそらく役所へ提出されることのない明細には、週明けの月曜日に振り込まれるであろう労働の対価が記されていた。 #mor_cy_dar
2013-06-09 15:41:27