仏教と脳科学に興味をもつ善光寺信徒の呟き No.07

こんにちは。青菖蒲と申します。最近、脳科学と仏教に興味をもち、休日は図書館で本を読みまくっ てます。近くには信州善光寺があるので、月に1回は、お参りに行ってます。あまり熱心ではない信徒 です。
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Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

今週の本棚:養老孟司・評 『なめらかな社会とその敵』=鈴木健・著 http://t.co/B7AbzZzm1w これは仏教なんですか?

2013-06-25 01:44:43
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

@usagitv 「如意輪観音」読みました。この観音像と同じように座って気づいたことは、体も心もバランスが必要だと言ってるような気がした。

2013-06-25 21:21:47
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

「仏教を歩くNO.20」で瀬戸内寂聴さんが「六波羅蜜」について書いている。彼岸への渡し舟には六枚のチケットが必要で、そのチケットは六つの行が終わると入手できるという話し。

2013-06-26 17:40:22
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

「布施」はインドの言葉でプレゼントという意味らしい。困っている人に声をかけて話しを聞いてあげれば布施になる。しかし、人間は時間が経つにつれて、だんだん見返りを期待するように気持ちが変わりますよね。

2013-06-26 17:53:49
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

五木寛之氏の対談本に、瀬戸内寂聴さんが、大昔のお坊さんの修行について話している。昔のお坊さんは墓場で座って修行したそうだ。当たり前だが、現在のような立派な墓など無かった。場所によっては骨が見えていたとか。だから「霊山」と呼ぶようになった。例えば高野山と書かれていた。

2013-06-26 18:10:40
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

「阿頼耶識の発見」という本に「縁起の故に空である、ということが実験で証明された」と書いてあった。この本の著者はブログwakanekoの日記でも知られている。実験で分かったことは、サルの視覚で、水平に動く物を見る脳の部位と垂直に動く物を見る脳の部位が全く違うという。

2013-06-28 20:54:03
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

1つの動きを認識するには、脳の複数の部位が入手したデータが組み合わさって1つの映像となり認識している。また、視覚から入った映像は、最初は複数のピースであり、脳には、そのピースを組み合わせて1つの映像にする機能がある。

2013-06-28 21:09:17
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

つまり、視覚が捉える物は、脳内で複数の縁によって生起した物だから、明らかに幻影であり、実体が無い。唯識派らしい考えだ。

2013-06-28 21:17:07
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

養老孟司氏の唯脳論には、「数学の規則は脳の神経系が自ずから持つ規則である」という話がある。人が何故「直線」を考えついたのか。何故「直線」は「点」の集合なのか。もともと脳に同じ機能が存在したから考えついたという。

2013-06-30 00:53:25
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「阿頼耶識の発見」に出てくるサルの実験で証明された内容は、唯脳論の立場ではどうなるか。仏教で説く「縁起」は、サルの実験で脳内の機能として存在することが分かったが、唯脳論では脳内の機能として、もともと「縁起」が存在したから仏教で「縁起」を説くことができたと言えるのではないか。

2013-06-30 01:01:21
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https://t.co/pY14VWBYpw 五木寛之氏の親鸞完結篇の連載が各新聞でスタートした。激動篇では越後へ追放された後、信州善光寺を経て関東に移り住み、法然の教えに追いつき追い越そうとする姿を描いている。完結篇は京都に戻った親鸞の晩年をつづるようだ。

2013-07-01 07:57:24
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

東京新聞:半減期の長い言葉で 短編集で被災地描いた 玄侑宗久さん(作家、僧侶):土曜訪問(TOKYO Web) http://t.co/33cMNLnlsg

2013-07-02 08:28:07
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

「世界一受けたい授業 「幽体離脱は脳の錯覚だった!?」」 http://t.co/ZhIA2pIuap ブログの最後に幽体離脱の初歩的な体験を鏡の実験で示している。幻肢についても「唯脳論」や「脳のなかの幽霊」など、脳に関する本に出ていることが多い。それらは脳の機能だからである。

2013-07-03 14:34:10
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

養老孟司氏は唯脳論で、「位置」の認識として脳内に身体地図と世界地図があり、自分が何処にいるか分かっていると書いているが、どういうことか。養老氏が講演で、よく車の運転を例に説明する。運転している自分と、車が何処を走っているか見ている自分がいるそうだ。

2013-07-03 14:45:11
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

だから幽体離脱を経験した人が、自分で自分を見たと言うが、養老孟司氏にとってみれば不思議ではない。

2013-07-03 14:50:06
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

仏教では四諦を説くが、諦は「明きらめる」「明らかにする」という意味で使う。苦について四つの真理を明きらめ、修行するのである。科学はより良い生活が出来るようにするだけではなく、真理を探究する。真理を明きらめても修行せずに美味しいところだけ貰うのが私達の習慣となった。

2013-07-03 15:14:03
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

薬師寺執事・大谷徹奘氏の本に「永遠なるものを求めて永遠に努力する人を菩薩という」と書かれている。これは高田好胤和上の言葉らしいが、舎利礼文の一句「修菩薩行」が示す通り、菩薩の修行は生きている間、続けなければならない。

2013-07-03 17:28:31
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

大谷徹奘氏の本のタイトルが何を意味するかと言えば、人間は間違うものだから、間違いに気付くために修行する。だから生きている限り修行して間違いを直していけばよい。そう言う意味で「修」を「なおす」と読み、「行」を「すすむ」と読むようにしたそうだ。

2013-07-03 17:39:59
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

@usagitv 「十一面観音」読みました。この手の長さは何だろう。普門品というように、何処でも門を開けて手を差し伸べていたら長くなっちゃったという感じ。

2013-07-03 18:01:36
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

仏教で「物」は「非有非無」であり、実体概念ではなく、関係概念でとらえる。例えば自分の「手」は存在するかといえば、存在しない。「手」を視覚と触覚でとらえ、存在すると思っているだけで、存在するのは視覚、触覚である。唯脳論では脳内の身体地図に「手」が存在している。

2013-07-05 00:39:36
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

脳は末梢を通して身体を知る。脳内に身体地図があることは、脳が脳を知ることになるだろうか。仏教の六番目の識は、このようにして出来上がったのではないか。

2013-07-05 00:48:32
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

仏教と量子力学を結び付ける人がいる。個人的には人間を素粒子で考えることに気が進まないだけだ。素粒子は、ある大きさを持った実体的なものではない。だから、この世界は「実体」としての物は何一つない。この量子力学の話の前に電子が粒子と波の性質を持つという話がある。

2013-07-05 13:23:13
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

唯脳論はニュートン力学の微分可能な運動は私達が知っている普通の運動であり、私達の脳に運動に対する何らかの理解可能性がなければ力学が生じるはずがないと主張する。量子力学でも同じ主張をするのか。

2013-07-05 13:34:21
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

量子論では観測者が登場する。電子は観測すると粒子であり、観測しないと波であるなどと訳の分からないことが入門書に書かれているが、唯脳論は「観測者」は脳であると言う。もし唯脳論が量子力学も脳内にあったというなら、脳内に脳が登場している。

2013-07-05 13:41:19
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

瀬戸内寂聴さんの「美しいお経」という本に、観音経の中で最も美しい句として「妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念」が載っていた。観世音は妙音であり、梵音であり、海潮音である。それは世間のあらゆる音より勝れている。それ故、念じなさいという。

2013-07-05 16:08:52