きっかけはフォロワーさんからのこんな質問。
「お二人にお聞きしたいのですが、坂東武者は一人で八人分の働きをしたそうです。ということは、忍城に立て籠もった人数は自称・坂東武者の子孫の農民を含めて三千人。単純計算するとこれは二万四千人の大軍になりますが。」
※発言者の方が名前が分かる形で呟きを使わないでほしいと言われたので原文をそのまま引用させていただきました。
「働き」ではなァ…。実数や無いではないか。(にや RTお二人にお聞きしたいのですが、坂東武者は一人で八人分の働きをしたそうです。ということは、忍城に立て籠もった人数は自称・坂東武者の子孫の農民を含めて三千人。単純計算するとこれは二万四千人の大軍になりますが
2013-07-06 00:22:00寝所│<実際の数ではない数字でものを言うなど、愚である。弾き出される数のみが、其処に存在する数なのだからな。物事は、正確に、捉えるべきや。
2013-07-06 00:33:51\ひ、百人乗っても大丈夫!/ RT @tuibu_satoiti: 長親さまは何人分ですか??(*・ω・)。+゜(期待のまなざし)
2013-07-06 00:30:41「坂東武者は八人分の働きをする」や「坂東武者一人は上方武者八人に匹敵する」というのは、それこそ「武士」という存在がこの世に誕生した頃に言われとった話でなあ
2013-07-06 00:33:33大雑把に言えば平安の頃に桓武天皇が様々な改革をされてなあ。その内の一つが武装勢力の解散、だった。滅多に起こらない大きな戦に備えて戦力を常備する経済的な余裕は、当時無かったんだろうなあ。
2013-07-06 00:40:14まあその頃の京には検非違使という、今で言うお巡りさん……厳密に言えば少し違うが、がいたんだが、地方からしてみれば武装勢力を解散されてしまっては自分たちの身を守ってくれる「力」が無くなってしまうのと同じことだったんだよねえ。
2013-07-06 00:42:26一つの土地に命を懸ける、という意味での「一所懸命」や、簡単に土地を分けてしまうような者をタワケ者……漢字で書けば田分け者、つまり愚か者だ!なんて言葉はこの頃に生まれたとも言われているぐらい、土地は大切なもの。
2013-07-06 00:47:46だから農民たちは盗賊たちから土地や財を守るため、そして他の集落の者との土地や水を巡る争いに勝利するために、自ら武装し始めた。
2013-07-06 00:49:06当時奥州辺りまで及んでいた朝廷の力が、次に手に入れたかったのが、蝦夷地。あの有名な坂上田村麻呂殿が征夷大将軍として乗り込んで行ったことで少しは有名なんじゃあないかな?
2013-07-06 00:55:09坂上田村麻呂殿ゎ頑張った……!でも、国の軍がなぃ……!仕方がなぃから志願兵を募った……!関東から集めた兵は……最強だょ……?
2013-07-06 00:57:44あと昔から家督争いや土地を巡る争いが激しかったこともあって、関東の武士はだんだんと鍛えられていき、「坂東武者は一人で八人の働きをする」という言葉が生まれたと言われている。
2013-07-06 01:00:32まあそんな厳しい環境の中で鍛え上げられていった坂東武者たちには例え相手が親兄弟であっても強い敵と戦って倒せばそれこそ最高の名誉!と思っている方々が多かったようでなあ。
2013-07-06 01:02:24