山本七平botまとめ/戦前にもあった象徴天皇制/~「被統治意識」と「外装的体制」という”二重基準の矛盾”こそ明治以降の天皇制で追及すべき本当の問題~

山本七平著『存亡の条件――日本文化の伝統と変容――』/第三章 指導者とその時代/戦前にもあった象徴天皇制/114頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【戦前にもあった象徴天皇制】だがここでもう一度「大正」をふり返ろう。 少なくとも大正十年の現天皇(註:昭和天皇を指す)の摂政就任まで、日本はまるで神政政治のように「実在する天皇の存在を無視した天皇制国家」として運営されてきた。<『存亡の条件』

2013-06-07 20:57:48
山本七平bot @yamamoto7hei

②たとえ明治憲法の規定において、政府が天皇の「私の政府」であろうと、軍隊が「ロイヤル・アーミィ=天皇の軍隊」であろうと、大正天皇は直接にも間接にも何の政治的影響力も行使しえない完全な″象徴″であった。 原因がいずれであれ、「象徴天皇制」は戦後のみの現象ではない。

2013-06-07 21:27:44
山本七平bot @yamamoto7hei

③従って大正期は、日本がすでに、天皇個人が政治的影響力を全く行使し得なくとも存続し、かつ運営できる「天皇制イデオロギー国家」であったことを示している。 この点、天皇個人がどのように自己規定しようと、それが政策とはなりえない後代がすでに実現しているわけである。

2013-06-07 21:57:52
山本七平bot @yamamoto7hei

④そして明治天皇が実際に政治的影響力をもちえたのを明治五年以降と仮定するならば、近代天皇制の全期の約半分は、象徴天皇制であったといえる。

2013-06-07 22:27:47
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤この大正期象徴天皇制と戦後象徴天皇制の中間期、 言葉をかえれば、大正民主主義時代と戦後民主主義時代にはさまれた20年間こそ、いわば全百年の間に存在した特異な天皇制時代と見るべきだが、ではわれわれはこの時代をどう解釈すべきであろうか。

2013-06-07 22:57:54
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥いわば天皇の戦争責任という問題と関連して、人びとが「天皇制」という場合、その問題意識の底にあるものは、実は、この特異な20年であり、それ以外の時期ではないからである。

2013-06-07 23:27:45
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦そしてこの間、天皇個人はあくまでも自分を″明治大帝の不磨の大典″すなわち神聖なる「明治憲法」が規定する役割通りにすることを、まことに生まじめに自己に課していた、 いわば大正時代の延長線上に「制限君主としての自己」を厳格に自己規定していた。 この点を否定する資料はない。

2013-06-07 23:57:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧そして天皇を弁護する人が必ずもち出すのが制限君主としての天皇の徹底的な自己規定である。 それは恐らく事実であろう。 だが明治憲法に規定された天皇、そして大正時代に予算の編成、審議、議決、執行というチャーチルのいわゆる近代国家における唯一の「権力」を名実共に喪失した天皇、(続

2013-06-08 00:27:36
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨続>そしてその枠内に自らを規制した現天皇自身と、当時の日本に、大正期から見れば急速にふくれあがったと見える全日本的な天皇尊崇思想の実体の解明とは、はっきり分けて考えなければならない。

2013-06-08 00:57:49
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩一方は天皇個人の問題であり、一方は国民の被統治意識の問題である。 そして天皇が″無能力″でも存続しうる事を既に証明した天皇制国家では、天皇の自己規定それ自体は政治的にも…無意味だからである。 そして明治以降の天皇制で追究すべきものはこの点だけで、他に特徴といえるものはない。

2013-06-08 01:27:35
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪なぜなら、新しい政権が、何らかの形で自己の正統性を宇宙の始原まで遡らせて歴史を再構成しようと、それを″科学″に準拠させようと、″神話″に準拠させようと、それ自体は別に珍しい事でなく、半神格化なら、現代も世界の多くの国で行われており、これも特筆すべき現象とは思われない。

2013-06-08 01:57:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫したがって問題は、以上の被統治意識と外装的体制という二重の基準の矛盾のはずである。

2013-06-08 02:27:36