山本七平botまとめ/「日本の非合理性(社会問題の自己同定化)」に「西欧の非合理性(殉教者自己同定化)」が加わった状態の日本社会
- yamamoto7hei
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①【知識人もまた武装する】ではまず日本的な儒教的一面「社会問題の自己同定化」からはじめよう。 非合理を自己のうちに還元してこれを内心の問題として解決する、 という方法は、俗にいう「封建的」即ち「忍従により家族的秩序→内社会的秩序」を維持するという形、(続 <『存亡の条件』
2013-06-08 20:27:49②続>あるいは「詰め腹を切らされる」という形での、自己の内心における心理的解決による外社会的秩序の維持という形などにのみ現れるのではなく、社会問題を自己の内心の問題として、これが心理的に解決すると、客体として社会問題も解決したとみなして忘却してしまうという形にも現れる。
2013-06-08 20:57:49③この傾向は戦後にも明確に存在し、たとえば沖縄問題を「沖縄の痛みをわが痛みとする」という自己同定化で受けとるが、同時に、この問題を心理的に解決して″痛み″なるものが消えると(これは実際には痛くないのだからすぐ消える)、同時に客体としての沖縄問題も消えてしまうという形になる。
2013-06-08 21:27:45④従って、この″痛み″は一時期が過ぎれば″一人よがり″の深刻ぶりにしかならず、合理的解決に何ももたらさない。 沖縄にいた友人の教授が常に嘆いたことは、あれほど「沖縄沖縄」といっていた人びとの一定期間後の極端な無関心ぶりであった。
2013-06-08 21:57:52⑤「内地の人は、沖縄のことはもう心理的には解決ずみなんですな。 もう終わってるんでしょう。 だから、何をいっても全く無関心。 しかし、現地では何一つ終わっていないんですよ」と。 もちろん真の中国的体制は、この非合理性を克服する方法を絶えず模索し、毛語録の中にもそれがある。
2013-06-08 22:27:47⑥従って毛語録には日本人のこの傾向への直接的な批判と見得るものさえその中にある。 だが、日本はこの消去法をもたなかった。 そしてその事はこれの逆方向への爆発の存在が証明している。 自己の内心で解決し得ない問題は、その人間にとって、一つの社会問題として実在してしまうのである。
2013-06-08 22:57:54⑦従って、どうしても解決できない場合、これが一種の「知的テロ」へ、また時には本当のテロヘと進む。 中岡艮一の原敬暗殺にも、いわゆる学生運動、大学騒動、爆弾事件にもこれが見られ、二・二六事件にも明確にこの要素がある。
2013-06-08 23:27:45⑧そしてそれらの行動は、実際には、何ら合理性をもたないし、何一つ解決するはずもないのである。 第二は、西欧の伝統的な「殉教者自己同定」である。
2013-06-08 23:57:55⑨これは明治の欧化時代にはほとんど見られなかった傾向で、西欧的合理性の導入が、当然その非合理性も導入し、それが「志士=社会主義者」の逆の形、すなわち「楠公=殉教者」で定着した結果と見るべきであろう。 従ってこれは、前述の非合理性の二重の累加を招来している。
2013-06-09 00:27:38⑩西欧の殉教者賛美、殉教者礼拝は、その最大の象徴である十字架と殉教者像への礼拝に象徴されるように、西欧一千数百年の基本的伝統だが、元来、日本には存在しない。
2013-06-09 00:57:47⑪いうまでもなく、殉教者礼拝を公然と行いうる社会は、すでにその面における殉教者が存在せず、逆に殉教者が一つの権威となっており、その者を殉教させた体制から解放されていることを証明している。
2013-06-09 01:27:36⑫しかしそうなってはこの自己同定は無意味になるから、この権威を目己に同定し殉教者の権威を自己の権威として絶対化するには虚構の″現世牢獄論″を展開し、自分も民衆もその牢獄の中で殉教者同様の状態にあり、自分を苦しめているその勢力は殉教者を殉教させた勢力と同じだと規定しなければならない
2013-06-09 01:57:55⑬【心理的解決としての″終戦″】ところがこう規定されると、殉教者が礼拝される社会では、殉教者と同定された彼に反対するものは一切「悪」であり、排除すべきものだということになるから、一切の批判・反論は不可能になり、(続
2013-06-09 02:27:36⑭続>そこで彼は、反対者に対して「異端宣告」という「知的テロ」を行い得、現実のテロ「異端審問・処刑」へと進む。 以上がいわばこの基本的図式である。
2013-06-09 02:57:47⑮これが西欧における伝統的な非合理性の集約的な現れ方であり、いわゆる″合理的″な西欧で、外形は変わっても常に存在し、かつ問題になっていることは、最近のG・シュフェール『長椅子の知識人たち』についての林二郎氏の紹介にもそのまま現れている。
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