土蜘蛛様による土蜘蛛語り

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土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

二つの解釈が平安時代にはみられる。前者は異種族または異人種として、一方は朝廷に反逆するものとして叙述してある。これは江戸時代における土蜘蛛研究に一つの影響を与えたといえるんじゃないかな、と。ごめんここまで平安時代の土蜘蛛研究でした。

2013-07-04 22:54:31
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

次から江戸時代ね。新井白石と本居宣長の説を紹介します。

2013-07-04 22:54:54
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

新井白石は言語学的に土蜘蛛を解釈した。「ツチグモといひしは、猶国神といふが如し虫の名によりていひしにはあらず。」聞いて! 虫じゃない!

2013-07-04 22:55:20
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

古語にクマといひしは、カミといふ語の転ぜし也。クモといひし亦クマの転に同じかりき。後に史書撰述之時に至て、ツチグモといひし称の、土蜘蛛といふに同じければ、其字を借りてしるされし所なる也。

2013-07-04 22:55:55
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

此物(動物のクモをいう)の旧名サゝガニなどいふが如く、上世よりいひつぎし所もやありぬらむを、後に韓地の方言によりて、クモといふ事にはなりしなるべし。今の如きも、朝鮮の俗猶此物を呼びてクムといふ也。

2013-07-04 22:56:13
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

或はむかし三韓の服属しまいらあせし時、彼国俗、或国之語習ひし所の、猶今も遺れりしも知るべからず。

2013-07-04 22:56:17
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

これで意味を読み取れというのは国文学の輩であっても言いづらいのでまとめるよ……

2013-07-04 22:57:38
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

土蜘蛛の「クモ」はカミ→クマ→クモと移り変わったもので、「ツチグモ」は「ツチカミ」=「国つ神」であると考えた

2013-07-04 22:57:51
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

「土蜘蛛」の字をあてたのは「ササガニ」と呼んでいた蜘蛛を朝鮮語に従って「クモ」と呼ぶようになり、「史書撰述の時」に「土蜘蛛」の字を適用した。

2013-07-04 22:58:06
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

つまり白石は土蜘蛛を「天つ神」とは別の「国つ神」であると断じ、「土着の先住民の神」としているのだ。あれだ、クトゥルーの旧支配者みたいな。

2013-07-04 22:58:59
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

新井白石ちゃんがそんなこと言ってたら本居宣長ちゃん大批判!「此説は不可し、久母と云名、本より皇国の言なり、されば本我国の語なるを彼へ習へるかと云るは宜し。」

2013-07-04 23:00:21
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

土蜘蛛は日本語だよバーカ、土蜘蛛という言葉に意味があるんだよ。たとえばさあ、「岩窟土穴などに住て、人を害ひ、惨暴ぶる梟師等を、蜘蛛に准へて、如此は称けられたるなるべし。」

2013-07-04 23:01:13
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

穴に住み人を残害したものを土蜘蛛と僭称したのだ、と。これはさっき言った釈日本紀の見解と同じだね。

2013-07-04 23:02:16
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

谷川士清は著書『倭訓栞』のなかで「つちくも、日本紀に土蜘蛛と見えたり、太古暴戻にして王化に従はず、巌住して、毒害を縦にするものの称なり。」と書いている。はらたつ。

2013-07-04 23:02:46
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

白石とも宣長とも違った考えを述べたのが飯田武郷だ。武郷は土蜘蛛を一種の異人種ととらえた。それは単なる凶暴なものに対する呼び方などではなく、ひとの姿として著しく異なっているものを指すと考えている。それが異様な集団土蜘蛛であり、さらに蝦夷と土蜘蛛が同じ種である見解を示している。

2013-07-04 23:03:32
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

とまあ江戸時代では土蜘蛛は「土蜘蛛は存在したんだ!」ということを前提にして古典籍をいじったり語源をいじったり生活形態をディスったりしている。ここで覚えていて欲しいのは「朝廷にまつろわぬ民だった」「異人種だった」という考え方が江戸時代にはあったよ、ということ。

2013-07-04 23:05:00
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

さて、文明開化、明治時代。江戸時代の国学者の考えを継承しながらも新しい学問分野である民族や言語を中心とする研究が取り入れられた。

2013-07-04 23:06:02
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

黒川真頼は、土蜘蛛を「土隠(ツチゴモリ)」の義とし、土窟に住むものを土蜘蛛といい、神武天皇から始まったとした。これはすぐさま起源ごと否定された。

2013-07-04 23:06:34
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

だって江戸時代にすでに「或人、クモはコモリにて、土隠と云称なりと云り、此は語はさも云べきことなれど、なほ其意の称には非じ。」って言ってるし……。

2013-07-04 23:07:03
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

三宅米吉は、異人種説を提唱した。つまり、アイヌ民族が日本列島全体に居住していたよりも以前に、日本に住んでいたのは穴居民であるとし、それを総称したのが土蜘蛛であるとした。

2013-07-04 23:07:54
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

さらにこの先住民は常陸以南に分布し、今より三千年内外の昔、本島に移住した民族であり、さらにそれはマレー人であると推定した。だがこの論は、いかなる根拠からマレー人と比定したのか不明で、かなり薄弱で無理がある。

2013-07-04 23:08:12
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

考古学の立場からも、土蜘蛛を研究しようとする研究が見える。沼田頼輔と奘三郎である。

2013-07-04 23:09:00
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

沼田は三宅の説を受けて、土蜘蛛は石器を使用する民族であると推定した。八木はさらに具体的に、「佐閉岐」「葛」「土蜘蛛」「荒振神」「熊襲」「隼人」等は異名同人種であるとし、南方より渡来したもので、弥生式土器は土蜘蛛種族の遺産であるとの説を立てた。

2013-07-04 23:09:05
土蜘蛛ꙮ那由辰🌗_毎日散歩する @reminiscence_t

これらの明治期以降の諸説は、西洋からわたってきた新しい考古学の知識を取り入れたものであるが、古典の記載をいいようにとらえ、無理にほかのものと対比させたり比定を試みたりしている。

2013-07-04 23:09:23
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