第2回 教師・教育研究会  私たちはどのように「教師」になるのか

第2回 教師・教育研究会を実況しました。最後のほうは、私(古屋)の感想になっています。 以下、研究会の概要です。 ●日時:2013年7月6日(土)13:30~16:30 ●場所:早稲田大学早稲田キャンパス22号館502教室 続きを読む
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メルマガ 週刊「日本語教育」批評 @NKhihyo

つまり、自身の(狭量な)教育観を押し付けようとする常勤講師(主任等)は、本人が偏狭な性質を有しているのではなく、時間的・経済的に余裕がないために、多様な実践や教育観に触れる機会もなく、専任講師という立場に置かれてしまったがために、過剰に常勤らしくあろうとして、(続く)

2013-07-06 20:30:26
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また、常勤らしくあることを周囲から求められるがゆえに、一種の防衛として、他の教師に自身の教育観を押し付けざるを得ない状況に構造的に置かれてしまう。これは、常勤講師、非常勤講師双方にとって不幸な状況である。そして、その元凶は、時間的、経済的、そして、精神的な余裕のなさである。

2013-07-06 20:33:27
メルマガ 週刊「日本語教育」批評 @NKhihyo

ある講師が、新人時代から他の教師とお互いの実践に関しゆっくりと話したり、いろいろな本を読んだり、研修会・研究会等に参加したり、疲れたときにはきちんと休めたりしていれば、その人は、たとえ上の立場である常勤講師となっても、自身の教育観を押し付けたりはしないのではないか。

2013-07-06 20:36:11
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なぜなら、その人には、自分とは異なる教育観を受け入れる余裕があるはずだから。余裕があれば、自身の狭量な教育観を守ろうとすることもない。ゆっくりと他の講師の話を聴き、受け入れられるところは、受け入れ、現実的に無理なところは受け入れないといった現実的・かつ建設的な対応もできるはずだ。

2013-07-06 20:39:20
メルマガ 週刊「日本語教育」批評 @NKhihyo

まあ金持ちけんかせずっていうか、日本語教師が時間的・経済的・精神的に余裕のない状況に置かれていることが、自身の教育観を更新する機会を奪い、引いては、日本語教師の専門性を非常に狭い、特定の状況に依存したものにしているのではないかと。

2013-07-06 20:41:38
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私のグループでは、ディスカッションで以上のようなことを話しました。わかりにくい箇所もあるかと思いますが、私にとっては、教育観が形成しにくい構造に関し、色々と示唆が得られました。対象を構造的に見られるかどうかが、話し合いが建設的になるか、グチになるかの分かれ目のような気がします。

2013-07-06 20:46:58