スッタニパータ 第三章 大いなる章 <12、二種の観察>

こちらは、1つ前のまとめであるサビアさんとの問答のように、『誰かから質問を受けて、それに対して仏陀が答えた』のではなく、仏陀自身が、【修行僧らよ】と呼びかけて、語られた句です このように、誰からも問われていないのに、仏陀が自ら口にされた句は、特に重要であるそうです
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AK @bdak52

わたくしが聞いたところによると、──或るとき尊師はサーヴァッティーの[郊外にある]東園にあるミガーラ(長者)の母の宮殿のうちにとどまっておられた。 そのとき尊師(ブッダ)はその定期的集会(布薩)の日、十五日、満月の夜に、修行僧(比丘)の仲間に囲まれて屋外に住しておられた。

2013-07-10 21:37:32
AK @bdak52

さて尊師は修行僧の仲間が沈黙しているのを見まわして、かれらに告げていわれた、── 修行僧たちよ。善にして、尊く、出離を得させ、さとりにみちびく諸々の真理がある。

2013-07-10 21:38:14
AK @bdak52

そなたたちが、『善にして、尊く、出離を得させ、さとりにみちびく諸々の真理を聞くのは、何故であるか』と、もしもだれかに問われたならば、かれに対しては次のように答えねばならぬ。 ──『二種ずつの真理を如実に知るためである』と。

2013-07-10 21:38:54
AK @bdak52

しからば、そなたたちのいう二種とは何であるか、というならば、『これは苦しみである。これは苦しみの原因である』というのが、一つの観察[法]である。

2013-07-10 21:39:16
AK @bdak52

『これは苦しみの消滅である。これは苦しみの消滅に至る道である』というのが、第二の観察[法]である。 修行僧たちよ。このように二種[の観察法]を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。

2013-07-10 21:40:34
AK @bdak52

──すなわち現世における<さとり>か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないこと(不還)である。 ──尊師はこのように告げられた。そうして、幸せな師(ブッダ)は、さらにまた次のように説かれた。

2013-07-10 21:41:05
AK @bdak52

苦しみを知らず、また苦しみの生起するもとをも知らず、また苦しみのすべて残りなく滅びるところをも、また苦しみの消滅に達する道をも知らない人々、── かれらは心の解脱を欠き、また智慧の解脱を欠く。 かれらは(輪廻を)終滅させることができない。かれらは実に生と老いとを受ける。

2013-07-10 21:41:43
AK @bdak52

しかるに、苦しみを知り、また苦しみの生起するもとを知り、また苦しみのすべて残りなく滅びるところを知り、また苦しみの消滅に達する道を知った人々、──

2013-07-10 21:42:30
AK @bdak52

かれらは、心の解脱を具現し、また智慧の解脱を具現する。 かれらは(輪廻を)終滅させることができる。 かれらは生と老いとを受けることがない。

2013-07-10 21:42:45
AK @bdak52

「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか? 

2013-07-10 21:43:14
AK @bdak52

『およそ苦しみが生ずるのは、すべて素因に縁って起るのである』というのが、一つの観察[法]である。 『しかしながら素因が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。

2013-07-10 21:43:55
AK @bdak52

このように二種[の観察法]を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちいずれか一つの果報が期待され得る。 ──すなわち現世における<さとり>か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。」──

2013-07-10 21:44:56
AK @bdak52

師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師(ブッダ)は、さらにまた次のように説かれた。 世間には種々なる苦しみがあるが、それらは『生存の素因』にもとずいて生起する。

2013-07-10 21:45:55
AK @bdak52

実に愚者は知らないで生存の素因をつくり、くり返し苦しみを受ける。 それ故に、知り明らめて、苦しみの生ずる原因を観察し、再生の素因をつくるな。

2013-07-10 21:46:06
AK @bdak52

「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか?  『どんな苦しみが生ずるのでも、すべて無明に縁って起るのである』というのが、一つの観察[法]である。

2013-07-10 21:47:27
AK @bdak52

『しかしながら無明が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。 このように二種[の観察法]を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちいずれか一つの果報が期待され得る。

2013-07-10 21:47:52
AK @bdak52

──すなわち現世における<さとり>か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存にもどらないことである。」── 師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。

2013-07-10 21:48:08
AK @bdak52

この状態から他の状態へと、くり返し生死輪廻に赴く人々は、その帰趣(行きつく先)は無明にのみ存する。 この無明とは大いなる迷いであり、それによって永いあいだこのように輪廻してきた。 しかし明知に達した生けるものどもは、再び迷いの生存に戻ることがない。

2013-07-10 21:48:52
AK @bdak52

「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか?

2013-07-10 21:50:07
AK @bdak52

『およそ苦しみが生ずるのは、すべて潜在的形成力に縁って起るのである』というのが、一つの観察[法]である。 『しかしながら潜在的形成力が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。

2013-07-10 21:50:29
AK @bdak52

およそ苦しみが生ずるのは、すべて潜在的形成力を縁(原因)として起るのである。 諸々の潜在的形成力が消滅するならば、もはや苦しみの生ずることもない。

2013-07-10 21:51:12
AK @bdak52

「苦しみは潜在的形成力の縁から起るものである」と、この災いを知って、一切の潜在的形成力が消滅し、(欲などの)相を止めたならば、苦しみは消滅する。

2013-07-10 21:52:17
AK @bdak52

このことを如実に知って、正しく見、正しく知った諸々の賢者・ヴェーダの達人は、悪魔の繋縛(けばく)にうち勝って、もはや迷いの生存に戻ることがない。

2013-07-10 21:52:27
AK @bdak52

「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか? 

2013-07-10 21:53:27
AK @bdak52

『およそ苦しみが生ずるのは、すべて識別作用(識)に縁って起るのである』というのが、一つの観察[法]である。 『しかしながら識別作用が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。

2013-07-10 21:53:39