スッタニパータ 第三章 大いなる章 <12、二種の観察>
「諸々の従属の中に大きな危険がある」と、この禍いを知って、修行僧は、 従属することなく、執著することなく、よく気をつけて、遍歴すべきである。
2013-07-10 22:09:45修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか?
2013-07-10 22:10:21『物理的領域よりも非物質的領域のほうが、よりいっそう静まっている』というのが、一つの観察[法]である。 『非物質的領域よりも消滅のほうが、よりいっそう静まっている』というのが第二の観察[法]である。
2013-07-10 22:10:39このように二種[の観察法]を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。 ──すなわち現世における<さとり>か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。」──
2013-07-10 22:10:58師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。 『物質的領域に生まれる諸々の生存者』と、『非物質的領域に住む諸々の生存者』とは、「消滅」を知らないので、再びこの世の生存に戻ってくる。
2013-07-10 22:11:40修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。 どうしてであるか?
2013-07-10 22:13:11『神々と悪魔とともなる世界、道の人(沙門)・バラモン・神々・人間を含む諸々の生存者が<これは真理である>と考えたものを、 諸々の聖者は<これは虚妄である>と如実に正しい智慧をもってよく観ずる』というのが、一つの観察[法]である。
2013-07-10 22:13:48『神々と悪魔とともなる世界、道の人・バラモン・神々・人間を含む諸々の生存者が<これは虚妄である>と考えたものを、 諸々の聖者は<これは真理である>と如実に正しい智慧をもってよく観ずる』 ──これが第二の観察[法]である。
2013-07-10 22:14:30或るものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、そのものはそれとは異なったものとなる。 何となれば、その(愚者の)その(考え)は虚妄なのである。 過ぎ去るものは虚妄なるものであるから。
2013-07-10 22:15:59安らぎは虚妄ならざるものである。 諸々の聖者はそれを真理であると知る。 かれらは実に真理をさとるが故に、快をむさぼることなく平安に帰しているのである。
2013-07-10 22:16:43修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか?
2013-07-10 22:17:19『神々と悪魔とともなる世界、道の人(沙門)・バラモン・神々・人間を含む諸々の生存者が<これは安楽である>と考えたものを、 諸々の聖者は<これは苦しみである>と如実に正しい智慧をもってよく観ずる』というのが、一つの観察[法]である。
2013-07-10 22:17:44『神々と悪魔とともなる世界、道の人・バラモン・神々・人間を含む諸々の生存者が<これは苦しみである>と考えたものを、 諸々の聖者は<これは安楽である>と如実に正しい智慧をもってよく観ずる』──これが第二の観察[法]である。
2013-07-10 22:18:05それらは実に、神々並びに世人には「安楽」であると一般に認められている。 またそれらが『滅びる』場合には、かれらはそれを「苦しみ」であると等しく認めている。
2013-07-10 22:19:35自己の身体(=個体)を断滅することが「安楽」である、と諸々の聖者は見る。 (正しく)見る人々のこの(考え)は、『一切の世間の人々と正反対』である。
2013-07-10 22:20:12他の人々が「安楽」であると称するものを、諸々の聖者は「苦しみ」であると言う。 他の人々が「苦しみ」であると称するものを、諸々の聖者は「安楽」であると知る。 【解し難き真理を見よ】。 無知なる人々はここに迷っている。
2013-07-10 22:20:59覆われた人々には闇がある。 (正しく)見ない人々には暗黒がある。 善良な人々には開顕(かいけん)される。 あたかも見る人々に光明のあるようなものである。 理法がなにであるかを知らない獣(のような愚人)は、(安らぎの)近くにあっても、それを知らない。
2013-07-10 22:22:09生存の貪欲にとらわれ、生存の流れにおし流され、悪魔の領土に入っている人々には、この真理は実に覚りがたい。 諸々の聖者以外には、そもそも誰がこの境地を覚り得るのであろうか。 この境地を正しく知ったならば、煩悩の汚れのない者となって、まどかな平安に入るであろう。
2013-07-10 22:22:57師(ブッダ)はこのように説かれた。 修行僧たちは悦んで師の所説を歓喜して迎えた。 実にこの説明が述べられたときに、六十人の修行僧は執著がなくなって、心が汚れから解脱した。 スッタニパータ 第三章 大いなる章 <12、二種の観察>
2013-07-10 22:25:18