スッタニパータ 第三章 大いなる章 <12、二種の観察>

こちらは、1つ前のまとめであるサビアさんとの問答のように、『誰かから質問を受けて、それに対して仏陀が答えた』のではなく、仏陀自身が、【修行僧らよ】と呼びかけて、語られた句です このように、誰からも問われていないのに、仏陀が自ら口にされた句は、特に重要であるそうです
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AK @bdak52

およそ苦しみが生ずるのは、すべて識別作用に縁って起るのである。 識別作用が消滅するならば、もはや苦しみが生起するということはあり得ない。

2013-07-10 21:54:28
AK @bdak52

「苦しみは識別作用に縁って起るのである」と、この禍いを知って、識別作用を静まらせたならば、修行者は、快をむさぼることなく、安らぎに帰しているのである。

2013-07-10 21:54:36
AK @bdak52

「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか? 『およそ苦しみが生ずるのは、すべて接触に縁って起るのである』というのが、一つの観察[法]である。

2013-07-10 21:55:09
AK @bdak52

『しかしながら接触が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。 接触にとらわれ、生存の流れにおしながされ、邪道を歩む人々は、束縛の消滅は遠いかなたにある。

2013-07-10 21:55:51
AK @bdak52

しかし接触を熟知し理解して、平安を楽しむ人々は、実に接触がほろびるが故に、快を感ずることなく、安らぎに帰している。

2013-07-10 21:56:11
AK @bdak52

修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか?  『およそ苦しみが生ずるのは、すべて感受に縁って起るものである』というのが、一つの観察[法]である。

2013-07-10 21:56:51
AK @bdak52

『しかしながら諸々の感受が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。 楽であろうと、苦であろうと、不苦不楽であろうとも、内的にも外的にも、およそ感受されたものはすべて、

2013-07-10 21:57:34
AK @bdak52

「これは苦しみである」と知って、 滅び去るものである虚妄の事物に触れるたびごとに、衰滅することを認め、 このようにしてそれらの本性を識知する。 諸々の感受が消滅するが故に、修行僧は快を感ずることなく、安らぎに帰している。

2013-07-10 21:58:08
AK @bdak52

修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか?  『およそ苦しみが生ずるのは、妄執(愛執)に縁って起るのである』というのが、一つの観察[法]である。

2013-07-10 21:58:59
AK @bdak52

『しかしながら妄執が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。 妄執を友としている人は、この状態から、かの状態へと永い間流転して、輪廻を超えることができない。

2013-07-10 21:59:57
AK @bdak52

妄執は苦しみの起る原因である、とこの禍いを知って、妄執を離れて、執著することなく、よく気をつけて、修行僧は遍歴すべきである。

2013-07-10 22:00:30
AK @bdak52

「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか?  『およそ苦しみが生ずるのは、すべて執著に縁って起るのである。』というのが、一つの観察[法]である。

2013-07-10 22:01:16
AK @bdak52

『しかしながら諸々の執著が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。 執著に縁って生存が起る。生存せる者は苦しみを受ける。 生れた者は死ぬ。これが苦しみの起る原因である。

2013-07-10 22:01:52
AK @bdak52

それ故に諸々の賢者は、執著が消滅するが故に、正しく知って、生まれの消滅したことを熟知して、再び迷いの生存にもどることがない。

2013-07-10 22:02:17
AK @bdak52

修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか? 『およそ苦しみが生ずるのは、すべて起動に縁って起るのである。』というのが、一つの観察[法]である。

2013-07-10 22:03:14
AK @bdak52

『しかしながら諸々の起動が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。 およそ苦しみが起るのは、すべて起動を縁として起る。諸々の起動が消滅するならば、苦しみの生ずることもない。

2013-07-10 22:03:47
AK @bdak52

「苦しみは起動の縁から起る」と、この禍いを知って、一切の起動を捨て去って、起動のないことにおいて解脱し、 生存に対する妄執を断ち、心の静まった修行僧は、生をくり返す輪廻を超える。 かれはもはや生存を受けることがない。

2013-07-10 22:04:31
AK @bdak52

「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか? 『およそ苦しみが生ずるのは、すべて食料に縁って起るのである。』というのが、一つの観察[法]である。

2013-07-10 22:05:10
AK @bdak52

『しかしながら諸々の食料が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。 およそ苦しみが起るのは、すべて食料を縁として起る。諸々の食料(四食)が消滅するならば、もはや苦しみの生ずることもない。

2013-07-10 22:06:04
AK @bdak52

「苦しみは食料の縁から起る」と、この禍いを知って、一切の食料を熟知して、一切の食料にたよらない、 諸々の煩悩の汚れの消滅の故に無病の起ることを正しく知って、省察して(食料を)受用し、 理法に住するヴェーダの達人は、もはや(迷いの生存者のうちに)数えられることがない。

2013-07-10 22:06:48
AK @bdak52

修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか? 『およそ苦しみが生ずるのは、すべて動揺に縁って起るのである。』というのが、一つの観察[法]である。

2013-07-10 22:07:53
AK @bdak52

『しかしながら諸々の動揺が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。 およそ苦しみが起るのは、すべて動揺を縁として起る。諸々の動揺が消滅するならば、もはや苦しみの生ずることもない。

2013-07-10 22:08:10
AK @bdak52

「苦しみは動揺の縁から起る」と、この禍いを知って、それ故に修行僧は(妄執の)動揺を捨て去って、諸々の潜在的形成力を制止して、 無動揺・無執著で、よく気をつけて、遍歴すべきである。

2013-07-10 22:08:44
AK @bdak52

修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか? 『従属するものは、たじろぐ。』というのが、一つの観察[法]である。

2013-07-10 22:09:04
AK @bdak52

『従属しない者は、たじろかない』というのが第二の観察[法]である。 従属することのない人はたじろがない。しかし従属することのある人は、この状態からあの状態へと執著していて、輪廻を超えることがない。

2013-07-10 22:09:22