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南雲機動部隊の後詰め・曳航艦として、長門さんや陸奥さんと共に出撃した扶桑さんですが、12月11日に反転して13日には桂島泊地に戻っています。
2013-07-18 00:12:481942年のミッドウェー海戦では、主部隊と分離してアリューシャン諸島に向かいましたが、米軍と交戦する事は無く、そのまま日本に戻っています。 その後は山城さん、伊勢さん、日向さん達と共に二戦級の扱いで留め置かれます。
2013-07-18 00:15:041943年7月には、長門さんと共に航空隊の訓練目標艦として役務して居ます。 なお、同じ年の10月にトラック泊地に扶桑さんは進出しています。この際、山城さんや伊勢さんが扶桑さんの主砲弾や大和さんの主砲弾を輸送しています。 その後山城さんは日本に戻りますが、扶桑さんは留まります。
2013-07-18 00:17:40トラック泊地に留まり続けた扶桑さんは、1944年2月のトラック島空襲寸前にリンガ泊地へ移動しています。 6月の渾作戦に扶桑さんは第5戦隊、第10・19・27駆逐隊と共に出撃、ビアク島に上陸した米軍を撃退する目的で進出しますが、機動部隊出現の誤情報で長官命令で退避しました。
2013-07-18 00:26:546月15日にはダバオに戻りまして、その為マリアナ沖海戦には参加して居ません。 そして、1944年10月。 西村艦隊の一員として扶桑さんは山城さんと共にブルネイ泊地から出撃。 スリガオ海峡を抜けてレイテ湾を目指しました。
2013-07-18 00:29:52この際西村艦隊は空襲に遭いましたが、栗田艦隊と武蔵さんが米軍機動部隊の攻撃を一身に引き受けていまして、割と軽微な損傷(爆弾1発が命中し、観測機1機が炎上)で進行しています。
2013-07-18 00:32:29同日22時55分、米海軍の魚雷艇がスリガオ海峡入口に待ち構えて居たので、西村艦隊は最上さん、朝雲ちゃん、満潮ちゃん、山雲ちゃん、時雨ちゃんを先行させて魚雷艇攻撃を行います。 魚雷艇部隊の波状攻撃で海峡突入が大幅に遅れます。またこのため、西村提督も慎重に行動したと伝えられて居ます。
2013-07-18 00:34:30明けて25日、米軍は丁字陣形で西村艦隊を待ち構えていました。これに対し西村艦隊は単縦陣で海峡に侵入。 扶桑さんは山城さんと共に砲撃を開始。魚雷艇部隊や駆逐艦隊に砲撃を行いましたが、米軍が放った魚雷のうち4本が扶桑さんに命中、艦列より落伍します。
2013-07-18 00:37:25その後、扶桑さんは大爆発を起こし、艦体は真っ二つに割れ、しばらく炎上をして居ましたが、4時20分に艦前部が沈没、後部も5時20分頃に米軍重巡の砲撃により、沈められてしまいます。 これが、扶桑さんの戦歴です。
2013-07-18 00:39:38扶桑さんの諸元ですが、(第2次近代化改装後) 全長212.75m、全幅33.08m、 基準排水量34700トン、速力24.5ノット。 35.6cm連装砲6基12門、 15.2cm単装砲14門、 12.7cm連装高角砲4基8門、 25mm3連装機銃8基24丁、
2013-07-18 00:41:5325mm連装機銃16基32丁、 25mm単装機銃39丁、 13mm単装機銃10丁、 21号電探1基、22号電探2基、13号電探2基、 水上偵察機3機、カタパルト1機を搭載。 また、やはり新造当時は魚雷発射管が装備されていた模様ですが、近代化改装時に撤去されています。
2013-07-18 00:44:16@Housyou_kankore 来月進水式の予定の新型DDHも名前は「いずも」ってもれちゃいましたからねー。
2013-07-18 00:47:11扶桑型戦艦1番艦、兵器スロットは流石弩級戦艦と云うべき最初から4スロット、35.6cm連装砲、15.2cm単装砲、零式水上偵察機を装備。 低速、射程長で搭載機数は合計12。レベル20で計画のみに終わっていた航空戦艦に改造が可能になります。
2013-07-18 00:49:12改造後は35.6cm連装砲、瑞雲、零式水上偵察機を搭載。 艦載機数が各10の合計40となります。 提督の皆さん、鎮守府に扶桑さんがいらっしゃいましたら、是非山城さんと共に戦艦艦隊主力として運用をして下さいね。
2013-07-18 00:51:36以上で、本日の #鳳翔の艦娘講座 扶桑さん編を終わらせて頂きます。 皆様、ご静聴ありがとうございました。 次回の艦娘講座は私の可愛い妹が一人。 飛龍型空母1番艦・飛龍を取り上げます。お楽しみに。
2013-07-18 00:53:31昭和18年6月から扶桑艦長であった鶴岡信道少将による扶桑型の見解 「よく速力が遅いと言われるが、自分が戦闘運転やったときは26ノットまで出たから何も問題は感じなかった」(続く)
2013-07-18 00:54:18「砲撃時の爆風についても竣工時ならともかく、その後の改装を受けたこともあり、自分が乗っている間については何の問題も感じなかった。 ただ、散布界が他の艦より幾らか広かったが、それも特に問題ではなかった」(続く)
2013-07-18 00:54:40「防御は舷側は十分だが、水平防御が弱かった。当時は航空機は未発達なこともあり水平防御は十分に考慮されなかったのだろう。 だが、主砲の方が発達を遂げ大角度で砲弾が降ってくるようになり扶桑型の装甲では貫通される不安は有った」
2013-07-18 00:55:24「結果として、扶桑型は太平洋戦争では使ってはならない艦だったといえるだろう」 まぁ、厳しい見解ではあるけれど、実際の艦長さんの率直な見解ではあるのかしら。
2013-07-18 00:56:43