知猫楽 「色は匂へど」
- k_h_musume
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LOHASwたしかにw爛熟が過ぎて訳分かんなくなっちゃったから一回リセット!みたいな感じかもですね。 @nekohaus
2013-07-18 23:52:18粋…というよりは…なんかもうちょっと中二というかロックな感じかな…と勝手に思っています。黒く塗れ!!的な(※個人的な偏見です) RT @k_h_musume: @sakana6634 粋、とかに近いでしょうか?
2013-07-18 23:58:40@sakana6634 黒く塗れ(´∇`*)ナルホド。南都六宗も密教も古くて甘っちょろいぜ的な←コラッ
2013-07-19 00:09:10@k_h_musume そうそう、国家に媚びて堕落した仏の道を新生する!!(語弊)ていう、旧弊の否定のために、目に見える新しさっていうのも必要だったんじゃないでしょうか。
2013-07-19 00:17:30@sakana6634 @k_h_musume この点に関しては織豊期から江戸初期に全国各地で行われたヒノキ大径材の大量伐採(城郭建築に用いるため)と、その後の留め木(伐採の禁止)政策との関わりがありそうですね。それゆえ寺院建築にはヒノキに替わってケヤキが用いられるようになった。
2013-07-18 23:48:15@gijyou ありがとうございますm(__)m。仰るように、江戸時代は建材の木目を活かすのが大工さんの腕の見せどころだったように感じます。
2013-07-18 23:49:51そうか~、江戸時代だと、再建という認識はあっても現代で言う復元とは違いますね。学術より信仰に基づく再建という意味では、今できる最善の工法が功徳ですよね、きっと…。
2013-07-18 23:51:09@gijyou @sakana6634 戦国時代の伐採の影響ですか。因果関係って本当に思わぬところで繋がっていますね ( ゚д゚ )。
2013-07-19 00:21:05うーん…平和が訪れたら訪れたで、地方の武将を牽制する意味でも建材を作らせない目的もあったように感じます。無垢の建材を佳しとするのも華美ではないモダンさだけでは無いような…。
2013-07-19 00:21:55色もそうなんだけど、勝手に「古い物は古めかしい色」「昔=セピア色」っていう枠に嵌めるから、ぴかぴかの朱塗り柱がうさんくさく思えちゃうんだと思う。「今」目の前にある古さを愛でるのと、「昔」の鮮やかさを愛でるのと、どっちも大切…だから困る…w
2013-07-19 00:20:02いやー…自分が埴輪の衣裳塗るとき、不勉強なのもあるけど、どこまでカラフルにしていいものやら躊躇っちゃうから…。
2013-07-19 00:43:37@k_h_musume @sakana6634 戦国時代ではなく、安土桃山時代から江戸初期の城郭及び城下町建築ラッシュですね。特に大名屋敷は檜の四面柾という贅沢な木取りがなされており、この時期全国的に檜の大系木はほぼ枯渇しました。今でも樹齢350年を超える檜は木曽にありません。
2013-07-19 06:35:55@k_h_musume @sakana6634 檜の枯渇に伴う欅材の多用によって木目を活かすという方向性が一つ、もう一つはやはり室町期の書院造りでしょうね。書院造りは基本的に素木のままですから。で、後者の影響が日本人に侘び寂びの観念を植え付け、今はそれ一辺倒になってしまったのか。
2013-07-19 06:50:38@gijyou @sakana6634 おはようございます、ありがとうございますm(__)m。大量伐採の傾向は安土桃山からということを忘れないようにします。
2013-07-19 07:40:37@k_h_musume @sakana6634 この分野に関しては色々な研究書が出ていますが、コンラッド・タットマン『日本人はどのように森をつくってきたのか』が、なかなか面白い本でした。
2013-07-19 07:48:26@gijyou @k_h_musume おはようございます。そうですよね、立派な御殿には立派な木が必要だし、その分切り出された森林があると。ただそこまで偏って大量消費があったのかというのは驚きました。
2013-07-19 08:16:06@k_h_musume 書院造といえば東山文化ですが、義政の茶器は建戔や砧青磁のように侘び寂びとは無縁の唐物中心です。侘び寂びはその後の有力大名〜信長・秀吉に至る安土桃山文化の対概念として村田珠光〜千利休によって生み出されたもので、まあ鳳凰堂に用いるのはお門違いも甚だしいですね。
2013-07-19 08:19:22@sakana6634 @k_h_musume 日本国中の有名城郭とその城下町が、戦国末期から江戸初期の約50年間に集中して建てられたのですから、80〜90年代のバブル期を彷彿とさせるものだったと思います。その為の建築材はほとんどが檜材だったので、枯渇してもおかしくないですね。
2013-07-19 08:24:27書院造りの美的感覚がそのまま引き継がれた背景に、鎌倉・室町期以降連面と続いた武士文化があるのだとは思うのですが、やはり簡単に「ここから」と線引きできるものではないなあと改めて実感しています。
2013-07-19 07:42:33